【驚愕】大食漢として世界に名を轟かせた歴史上のフードファイター達(歴史ライター)

●歴史上には、現代のフードファイターを凌駕するほどの大食漢がいた。
●高カロリーで油っこい点心を愛した中国の老人皇帝、乾隆帝。
●羊肉の食べ過ぎを歌にされたモンゴルのチンギス・ハーン。
●大食いと早食いの二刀流、日本の広瀬武夫。
●十字軍を怖じ気付かせたエジプトのアル・アーディル。

昨今ではメディアへの露出も多くなったカルチャー、フードファイト。欧米では、もはやスポーツ扱いされるほどの盛り上がりを見せています。料理、食事が大好きな私は、こうした食をスポーツや芸に昇華できる文化を楽しんでいます。

同時に、子供の頃から歴史書を読んでいた筋金入りの歴史好きでもありました。あるとき江戸時代の食文化に関する書籍を読んでいたところ、当時の日本でも大食い対決が行われていたという驚愕の事実を目の当たりにします。

フードファイトは飽食の時代ならではの文化である――。そう思っていた私でしたが、これは思い込みだったようです。さらに、現代のフードファイターを凌駕する大食漢が多く存在することが分かり、日本だけでなく世界中の大食漢を調べるに至りました。

そこで当記事では、歴史に名を残した世界の大食漢たちを4人ピックアップして、紹介いたします。

【1】乾隆帝(中国)

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食文化が非常に発達していた中国。特に大食い伝説を残したのが、清朝の名君・乾隆帝(けんりゅうてい)です。ある日、軽食として食べたとされる点心が、軒並み高カロリーで油っこいものばかり!

・猪油到口酥
→小麦粉をラードと砂糖で練って蒸したカステラ状のお菓子。

・香油鶏蛋花
→小麦粉とゴマ油、卵で作った焼き菓子

他にも、油脂や糖分を多く使った点心を合計9種類食したと記録されています。しかも、それを平らげて政務を遂行したのが85歳(在位61年目)だったのだから驚き。85歳にもなったら、油っこいものって受け付けなくなる年齢ですよね。大きな国を治めただけあって、食欲も帝王クラスです。

なお、最高の中華料理とされる”満漢全席”(選りすぐりのメニューを並べて2〜3日かけて食す宴会様式。100種類以上もの料理が出ていたことも)を産んだ人物でもあるため、その意味でも世界史に残る大食いチャンプであると言えるでしょう。

【2】チンギス・ハーン(モンゴル)

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元寇でおなじみのチンギス・ハーン。そんなモンゴルの英雄である彼にも、大食い伝説が残されていました。彼が王子として”テムジン”と名乗っていた頃のエピソードが、歌として『元朝秘史』という書物に描かれています。ヒツジを飼って食料や毛皮を増やそうとする場面で、以下のようなテムジンのセリフがありました。

「わしの食い過ぎはよくなかった。これからはヒツジを放牧して白い腸を食おう」

肉を食べ過ぎて反省している一幕です。反省するほど食べたって、どれくらい食べたんですかね……。家来の発言であるという解釈もあり、これには諸説あります。しかしながら、モンゴルを世界制覇に導いたという偉業を思うと、戦いにも食にもパワフルであったチンギス・ハーンの姿は想像に難くありません。

なお、山形県米沢市にはジンギスカン風の羊肉料理である「義経焼」が存在します。源平合戦の英雄である源義経と、大帝国の王チンギス・ハーンを同一視した伝説が名の由来とされており、彼はとことん肉に縁があるように思えます。

【3】広瀬武夫(日本)

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お待ちかね我が国代表は、日露戦争の軍神と言われた広瀬武夫(ひろせたけお)です。日本海軍の発展に尽くしながらも、最後は部下を探しつつ戦死を遂げた史上のヒーローではありますが、彼にも大食い伝説がありました。

ドラマ『坂の上の雲』では、秋山真之と餅を食べる競争をしているシーンがありましたが、当時の広瀬は17歳のときに雑煮餅を年の数だけ食べていたようです。

また、ご飯ものも好きだったようで、広瀬に柔術を習っていた知人が、エンドウ豆の入った豆ご飯の重箱を女中さんに届けさせています。広瀬は女中さんを待たせると、しばらくの間返事もせずに部屋に入ってしまいました。

ようやく出てきた広瀬がお礼を言いながら重箱を返すと、女中さんは受け取りながら「別の容器に移したのですか?」と尋ねました。すると広瀬は、「容器などはないから、今みんな腹に入れてしまったんだ」と、事も無げに答えたそうです。彼は大食いであると同時に、早食いでもあったのです。

好物ならばいくらでもイケてしまうという体質は、国民的な人気キャラである『ドラえもん』が好物のどら焼きを猛然と平らげていく様子を彷彿とさせます。頼りになるヒーローだけれども、好物を前にすると無邪気になる大食の好漢と言う英雄像は、日本人好みなのかもしれません。

【4】アル・アーディル(エジプト)

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最後に挙げるのは、中世エジプトに君臨したアイユーブ帝国の皇太子、後にスルタン(皇帝)の位を継いだアル・アーディルです。

彼は十字軍を撃退したことで有名なサラーフ・アッディーン(通称サラディン)の弟で、兄の死後は後継者として辣腕を振るいます。その厳格さは、サラディンの遺児にまで及んだと言われるほどでした。そんなアル・アーディルにも人間臭いエピソードがあり、それが大食い伝説なのです。

十字軍と戦ったアル・アーディルは当然イスラム教徒です。イスラムと言えば厳格で禁欲的なイメージを抱きがちですが、彼はそれを一蹴してしまうエピソードを持っています。

アーディルは焼いたヒツジの肉を好み、何とまるまる一頭分を平らげてしまいます。中東の会食ではヤギやヒツジの丸焼きは定番で、複数名で切り分けて食べるのが普通であるのにも関わらず、彼は一頭まるまる一人で食べてしまったのです。

兄サラディン皇帝のライバル、獅子心王(ライオンハート)の仇名で知られたリチャード1世は、ヒツジをまるまる一頭食べてしまうアーディルに恐れをなし、自身の妹との政略結婚をアーディルに申し出たという記録もあります。

偉業の影に食事あり

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世界史で活躍した偉人と大食い――。いかにもミス・マッチングに見えてしまいますが、こうした伝説がある以上、偉業の背景には大食いがあったと言っても過言ではないでしょう。

常人離れした食欲が歴史を変える……そんな気持ちを頭の片隅に置きながらフードファイトを見てみると、またひと味違った楽しみがあるかもしれませんね。

この記事を書いた人

【驚愕】大食漢として世界に名を轟かせた歴史上のフードファイター達(歴史ライター)

やたろう

ライター 兼 作家

山形県在住。二松学舎大学文学部を卒業後、様々な仕事で生計を立てつつ作家を目指す。作家として文章力を磨くべく、ライターに就職。
得意ジャンルは歴史、文学、旅行。趣味は読書、料理、釣り、歴史ゲームを好む文学系男子にして生粋の歴男。「pixiv」でも自作のノベルを掲載。

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