震災後のいわきと栃木を音楽でつなぐプロジェクト『木を植える音楽』との出会い(音楽ライター)

●地元いわきの行きつけのカフェで、震災後に栃木で生まれたプロジェクト『木を植える音楽』に出会う。
●『木を植える音楽』のCD1枚の販売につき10本のクロマツの苗木が、震災で被害を受けたいわきの海岸線に植えられることを知る。
●Webサイト「ゆたりジャーナル」から栃木の11組ものアーティスト参加によるキセキのアルバムに込められた思いを知る。
●プロジェクトメンバーと同じ思いで、栃木といわきをつないでくれた『木を植える音楽』の活動をたくさんの人に伝えていきたい。

栃木からいわきへ植林活動のために来た彼らは、その活動後にいわきのカフェに立ち寄った。彼らは栃木からやってきた、あるものがたりの主人公たち。彼らの名は『木を植える音楽』。東日本大震災にともなう津波で、大きな被害のあった福島県いわき市の海岸に、『木を植える音楽』のCD1枚販売につき10本のクロマツの苗木が植えられるというプロジェクトを行っている。これは、失われたいわきの海岸線の美しい景観を取り戻すために、栃木の「2tree cafe」に集まった11組の音楽家が紡いだものがたりである。

『木を植える音楽』全曲ダイジェスト

『木を植える音楽』との出会い

自宅から車で30分というこの地域に、縁あって仕事場を持つことになった私。知り合いもいないし、行きつけのお店もない。だからこそ、近所にカフェができたと知ったときは、本当にうれしかった。カリモクのソファ、レクリントのペンダントライト、古い家具、酔月窯の器が共存している「CAFE Kiitos」は、すぐにお気に入りの場所になった。

Kiitos_01

その後、ここで様々なイベントが行われるようになった。本好きが一押しの書を持って集まった“本ナイト”、東京・日野市の「イエノコモノ」による“古道具ナイト”など。ここはカフェというより、いわばオーナーのクリエイティブスペースであると言えよう。

2015年3月のある日、いつものように仕事の合間に歩いてKiitosに行くと、親しくなったオーナーから興味深い話を聞いた。先日、とても雰囲気のよい人たちがふらりとお店に来てこのCDを持ってきたという。BGMとして流れていたその音楽はとても心地よく、また自分好みだったので、買いたいと思いながら話を聞いた。それが『木を植える音楽』との出会いだった。
震災を経験した者にとってそれは、4年経っても遠く離れた場所でいわきに思いを寄せてくれる人たちがいるという、温かい、本当に温かい話だった。CDを手に取ると、胸の奥がじんと温かくなった。

栃木の音楽家のファンになる

アイチャッチ画像_CD

2016年5月のある日の夕暮れ。楽しみにしていたカフェイベント「キートス音楽会」の準備がはじまろうとしていた。その日演奏に来てくれたのは、アルバム『木を植える音楽』に参加している栃木の2組のアーティスト「ネイロコタン」と「オツベル」だ。とても気さくな3人で、特別にリハーサルから聴かせてもらえることになった。自分のためだけに演奏してくれているような、贅沢な時間だ。そして、ギターを弾きながらひとりで色々な音を出す独特な世界観のオツベルの演奏を聴いた瞬間、私はその音の虜になった。

ライブのはじまりから終わりまで、それは途切れることがなかった。この10日後には東京のライブにも行き、翌月にはナビ無しの車で長距離運転をして宇都宮のライブ会場へと足を運んだ。子どものころから音楽は好きだったが、これまで「おっかけ」のような動きはしたことがなかった私。どこか不思議な気持ちだった。とにかく、オツベルの世界観が好きになって、彼にまつわることはどんなことでも知りたくて仕方なかった。

「ゆたりジャーナル」でプロジェクトへの思いを知る

毎日チェックするようになったオツベルの公式HPのリンクより、『木を植える音楽』プロジェクトの発足経緯や参加アーティスト紹介などが綴られたWebサイト「ゆたりジャーナル」を知った私。『木を植える音楽』の記事全話を読み、このアルバムができた経緯とそこに込められた思いを知った。

クロマツ_01

栃木の「2tree cafe」オーナーを中心に、音楽でつながったメンバーがテーブルを囲み、思いを語り、それを形にするにはどうすればよいか、難しさを実感し、悩み、戸惑い、それでも進んで2年をかけて、やっと1枚のアルバムとしてカタチになったのだ。その思いは、読み手にひしひしと伝わってきた。そして、「自分も何かをしたい」と思うようになった。

震災から5年。復興に関わるような特別なことは何もしていなかった。普通に生活していることが何よりもメッセージになると思ったからだ。震災直後は県外に避難しており、そこでは受け入れる側と受け入れてもらう側とで思いを分かち合えない現実があった。お互い辛い思いをしていることが辛くて、避難から一週間後に家族でいわきに戻ることを決めた。直後に東京の知人から電話があり、被災地にボランティア拠点を作るために準備していることを知らされ、私はいわきで知人と落ち合いその活動に加わった。

水に浸って濡れたもの、乾いてくっついてはがれないもの、落ちて割れたもの、何だかよくわからないもの……。色々なものを片付けながら、再開に向けて準備しつつボランティア拠点に通った。仕事が通常に戻ってからは、普通に生活していた。ただ、それだけだった。それでよかった。それがよかった。“何か”したいという思いは、そういう段階を経て、その上で『木を植える音楽』に出会ってわき上がったものであったのだろう。

自分らしく、自分にできること

特別なことはするつもりはなかった。それでも、『木を植える音楽』のCDに込められた思いを知って自分のなかに“何か”したいという思いがわき上がるのは必然だったのだと思う。

遠く離れた栃木でいわきに思いを寄せてくれる人がいて、その思いがカタチになった『木を植える音楽』ができた。そして、アーティスト自らが栃木からいわきへ来て、苗木を植えてくれた。アルバムのジャケットデザインを手がけた音楽家は、「ネイロコタン」としていわきに演奏に来てくれて、それをきっかけに親しくなった。しかしその5カ月後、交通事故に遭い突然姿を変えて大きな山になり、星になった。彼の生演奏は聴けなくなってしまったのだ。

ただの『木を植える音楽』のファンのひとりに過ぎない私だが、植えられたクロマツのように今もニョキニョキと育ち続けているこの活動を、私は誰かに伝えずにはいられなくなった。だから、あちこちで書いて伝えると決めたのだ。

栃木からやってきた『木を植える音楽』があるCAFE Kiitosには、今日もたんたんと日々が流れていた。いわきの伝説の喫茶店の主がコーヒー豆の配達に来る。おじいさんは、自分史を書くために来る。その女性は、自ら取材・編集しているフリーペーパーを届けに来る。そのカフェには「縄文ZINE」や「雨とQ日」といったカフェ時間にぴったりな読み物が届く。おいしいコーヒー、ハーブティー、絶品のスフレケーキがある。そして壁面の試聴スペースには『木を植える音楽』がつないだアーティストのCDが並んでいる。

栃木で生まれた『木を植える音楽』は、今もこうして穏やかな波のように流れ続けているのだ。

『木を植える音楽』発売開始からの合計(2016年11月15まで)

 

573枚 1,149,500円
植えられたクロマツの苗木 5730本

 

「ゆたりジャーナル」 http://www.yutari.jp/kiwoueruongaku/

この記事を書いた人

震災後のいわきと栃木を音楽でつなぐプロジェクト『木を植える音楽』との出会い(音楽ライター)

三瓶 英子

セラピスト

福島県出身。DTPオペレーターからインテリアアドバイザーを経て、現在は上級食育指導士およびアロマセラピスト。時々ネットラジオのアシスタント。趣味は民族楽器のディジュリドゥ。夜の散歩。

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