地方で生まれ育った若者のリアル~炭焼きで集落存続に挑む~(地域ライター)

●地方(過疎地域)へ移住する20~30代の若者が多い。
●特に30代の女性が増加している(筆者自身も30代女性でIターン経験者)。
●定住に繋げるためには、地方に元々住んでいる住民とのコミュニケーションが重要。
●しかし、地方に元々住んでいる住民に関する情報が不足している。
●筆者自身が出会った地方で活動する若者の姿を伝える。
●専業で炭焼きを営む40歳の男性。炭焼きで集落存続に挑んでいる。
●地方には熱い思いを持って活動する若者たちが存在している。
●住民が自ら地域について取り組むまちづくりの理想形。
●移住先の住民の考え方を知ることが地方での豊かな生活の実現に繋がる。

地方への移住の前に、知って欲しいことがある。

地方(過疎地域)への移住者は、全体の約50%が20~30代の若者たちだ。世のなかには移住先となる場所に関する様々な情報があふれている。しかし、定住に繋げるための重要な「ある情報」は少ない。それは、「そこで生まれ育った同世代の地域住民に関する情報」だ。

都市部に比べ、地方(過疎地域)では地域住民との密接なコミュニケーションが求められる。そのため、コミュニケーション相手となる同世代の地域住民に関する情報を得ることは、移住先を決めるうえで重要なことだと言えよう。
筆者である私には、地方への移住経験がある。当記事では、筆者が移住先で出会った1人の若者を通じて、地方で生きる若者のリアルな姿を伝える。

地方へ移住する若者たち

国は、平成26年度から、地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服することを目指し、「まち・ひと・しごと創生本部」を設置している。そのなかで、3つの基本的な視点を挙げており、そのひとつが「『東京一極集中』の歯止め」となっている。特に若い世代の地方から東京への人口流出に歯止めをかけるため、地方への新しい人の流れをつくることを目指している。

平成28年度に総務省がとりまとめた「『田園回帰』に関する調査研究 中間報告書」によると、都市部から地方(過疎地域)への移住者の年齢は、20代が25.0%、30代が23.1%となっており、20~30代で全体の約50%を占めている。なかでも、近年、北海道から沖縄までの地域ブロック全てで30代女性の割合が高くなってきている。
20~30代の若者たちが地方(過疎地域)での豊かな生活に憧れて移住を決意している。私自身、30代女性であり、地方(過疎地域)に約3年半にわたりIターン(※注1)した経験を持っている。

※注1 Iターン:生まれ育った故郷から進学や就職を期に、故郷には無い要素を求めて、故郷とは別の地域に移住すること(出典:一般社団法人 移住・定住推進機構HP)


出典:総務省「田園回帰」に関する調査研究 中間報告書

受け入れ側の住民に関する情報が足りない

地方へ移住する若者たちの多くは、移住前に様々な情報を集めている。主に、移住先の地域に対して海や山が近いといった地理的なことや、自分自身が実現したい働き方が実現できるかについてである。しかし、定住に至るためには、それ以外に集めるべき重要な情報がある。移住先の地域に元々住んでいる住民についての情報である。
都市部に比べて地方(過疎地域)では、地域住民との密接なコミュニケーションが求められる。コミュニケーションの輪に入っていくことは定住に繋がる重要な要素の1つだと言える。その地域での独自のルールを学ぶことができ、知人友人が増えることで豊かな人間関係のなかで生活することができる。しかし、移住先の同世代や頼れる先輩世代にどのような人がいて、どのようなことを考えて生活しているかという情報はあまり表に出ていない。地方には、自分の地域と向き合って熱い思いで活動する多くの若者が存在している。私が出会った、地方で生まれ育った若者のリアルな姿をお伝えしたい。

地方で生まれ育った若者の挑戦「自分の集落を存続させたい!」

石川県珠洲市。日本海に突き出た能登半島の先端に位置し、人口約14,000人、65歳以上の高齢化率が約40%の過疎地域である。
この地域で、生まれ育ち、専業で炭焼きを営む男性がいる。大野長一郎さん(40歳)。自分が通っていた小学校が廃校となった集落で家族と一緒に子ども3人を育てている。子どもたちはスクールバスを使って珠洲市中心部の学校まで通っている。

大野さんが営む大野製炭工場は、珠洲市の市街地から車で20分ほどの山のなかにある。くねくねとした山道を進むと、大きな瓦屋根の工場が見える。青い作業着を着た大野さんが炭で黒くなった手を振って笑顔で出迎えてくれた。

笑顔で出迎えてくれた大野さん

大野さんは、菊炭と呼ばれる茶道用の炭をつくっている。菊炭は他の炭に比べて高値で取引される商品だ。大野さんのつくる菊炭は、黒く艶やかにキラキラと輝き、断面は菊の花のように美しい。

大野さんがつくった菊炭

この菊炭を安定的につくるため、荒れ果てた里山に手を入れ、菊炭の材料となるクヌギの苗木を植林して植林地をつくっている。

「とにかく俺は普遍的な価値に近づきたいというか……。ブームが来て去ってという変化が激しいことについて自分は不適合者だと思う。できるだけ変化が少ない、だけどいつの時代も変わらぬ価値のそばにいて、いつも変わらぬことをしていたい。不器用で無知だから、不安で能力も無いから、変化の無いところを進みたい。」

大野さんの口調は、ゆっくりと優しい。自信が無いように聞こえる内容とは逆に、その言葉の奥に芯の強さが見え隠れする。

大野さんは自分自身が炭焼きで生きていくだけではなく、炭焼きで集落を維持したいという夢を持っている。炭焼きを生業とする人々が暮らす集落をつくる「炭焼きビレッジ構想」だ。

「グローバルな視点で物事を考えたとき、いかにローカルに落とし込めるかが重要。かといって、全員がグローバルな視点を持って活動できるかと言うとそれも難しい。だけど、役割があって、リーダーがいて、他の人たちはあくまでローカルな活動をしているんだけど、グローバルに繋がっているみたいな。炭焼きだって、それに当てはまるはず。社会にある様々な問題に、自分の活動が寄与できているのかと考えたときに、いろいろとできることがあって、自信を持つことができた。家族という最少単位での維持の形はなんとか完成しそうだから、次の段階である集落維持に繋げていきたい。」

工場で作業をする大野さんとおばあちゃん

炭焼きビレッジ構想はどんなきっかけで生まれたのか。それは、計画的ではなく、偶然と大野さん自身が引き寄せた必然が積み重なった結果だった。

「炭焼きビレッジ構想は最初からあったわけじゃない。まずは自分自身が炭焼きで生きていくことから始めた。そのなかで、助けてもらった人たちへの恩返しがしたい。何が恩返しになるのか考えると、自分が炭焼きを続けること、さらにそれの発展を実現させていくこと。この場所で命を繋いでいきたいという思いは誰にも否定はできないことだと思う。『これなら胸を張って言ってもいいことだ、自分がやりたいと思えることだ』そう思えたときに、地に足がついたというか、自信が持てたから、自分以外でも炭焼きで生きていく人を増やそうと思えた。俺がしたいことは、集落の維持存続、ここで命を繋ぐこと。その手段として炭焼きがある。」

大野さんのチャレンジはまだ道半ば。来年(2018年)には、大野さん自身が持続可能な生業を成立させる8,000本のクヌギの植林地が完成する。再来年(2019年)は、自らの活動を発展させるキックオフの年だ。大野さんの元には、夢の実現に向けて、様々な人たちが集まり始めている。

住民が自らまちづくりに取り組むことの強さ

全国各地では、様々な形でのまちづくり活動が行われている。それぞれの地域には、その地域に住んでいる人にしか分からない暗黙知や空気感がある。
大野さんの話のなかで「まちづくりは、そこに生まれ育った人が主体性を持って、自分がこうしたいんだからやるんだというところまで育っていかないと続かない」その言葉が心に残った。私は、地域に住んでいる人たちが中心となって考え、動き、必要に応じて外部の専門家を使うまちづくりの形が一番好きだ。それは、その形が地域にとって責任が持て、たとえ失敗したとしても地域の糧となると考えるからである。

地方での豊かな生活を実現するために

地方に移住して、豊かな生活を実現するためには、移住先の住民について知ることが重要である。地方には今回紹介した大野さんのように、熱い思いを持って活動する若者たちがいる。移住先で自分と近い世代の若者たちがどのようなことを考え、活動しているのか、その価値観を知ることが地方での豊かな生活を実現するための一歩となる。

この記事を書いた人

地方で生まれ育った若者のリアル~炭焼きで集落存続に挑む~(地域ライター)

森山友世 Moriyama Tomoyo

ライター

福井県出身、石川県在住。
福井県で生まれ、大学進学を機に石川県へ。まちづくりコンサルタント会社で技術者として7年勤務、地方自治体で地域のまちづくり支援の専門職として3年勤務。結婚を機に引っ越し(石川県内)。現在はライターとして活動中。雅楽演奏や読書、寝るのが好き。

【得意分野】
・まちづくりに関する取り組みを紹介する記事
・人物へのインタビュー記事
・書評記事(小説)

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