なぜハリウッド女優がこぞって作品に出演したがるのか――ウディ・アレンとその映画の魅力(エンタメライター)

●「宇宙が膨張して明日死ぬかも」という究極の不安と、「それなら人生なんでもアリ」という人生観を持ち、それが作品にあらわれている。
●「善が最後に勝つとは限らない」という不条理さに見る彼の宗教観と作品への影響。「神は沈黙するだけで、救いの手を差し伸べてはくれない」という宗教に対してシニカルな態度が強く感じられる。
●決してハンサムとは言えない外見だが、作品の中でもプライベートでもモテ男のアレン。その異性を惹きつける魅力と恋愛遍歴とは。
●多くの俳優たちがアレンの作品にこぞって出たがる秘密。スカーレット・ヨハンソンは「ウディは知的で頭が良くて面白いのに、自惚れてないのよ」と語る。
●一見精神的に弱々しく、いつも神経衰弱気味だが、ほぼ毎年1本のペースで絶えることなく映画製作を行ったり、養女と結婚したりといったことは誰よりも確固とした自分を持ち、強い精神がなくてはできない。彼の生き様から見えてくる弱さと強さに私たちは目が離せない。

好きな人と嫌いな人が大きく別れるウディ・アレン作品。特別彼の撮る映画が好きではなくても、一度は観たことがあるという人も多いのでは?
実は彼ほど私生活や思想、過去が取り沙汰される監督もそうおらず、それらが深く関連しているところをみてもとても興味深いのです。彼の人となりや宗教観、少しぶっ飛んだ人生模様と共に、アレンとその作品の魅力を紐解いていきましょう。

絶望からなんでもアリ!の人生観

彼の作品に出てくる主人公はだいたい、考え過ぎでペシミスティック、ある種の不安障害を抱えています。アレンの代表作とも言える『アニー・ホール』で主人公アルビーが子ども時代に「宇宙は膨張している。破裂したら全ておしまい」という不安にかられる有名なシーンがあります。実際アレンも幼少時代に「人はいつか死ぬという事実を知ったときからシニカルになった」と言うように、彼の人生観は映画にそのまま反映されていると言って良いでしょう。

しかしそれならば、繊細で才能あるアーティストが(非常に残念ではあるが)選びがちな「自殺」という選択をしてしまったり、作品の中で言えば悲しい結末になったりしそうですが、彼はそうしません。(作品で登場人物が自殺するものはあるけれど)彼の場合「やがて死ぬなら、なんでもアリ!楽しんで生きた者勝ち」という全く正反対の人生観が感じられます。

『人生万歳』という映画の原題は ”Whatever Works” まさに ”なんでもアリ” という意味。人生に絶望した偏屈な物理学者が若い娘と結婚して光を見出したり、「でもやっぱり若い男が良い」と嫁が不倫したり、その嫁の両親が田舎からニューヨークに出てきて性に目覚めたり(!)というハチャメチャな映画ですが、観ていて不思議と嫌な気持ちにならず、まさに人生なんでもアリ!という世界観を描き出しています。

この映画やアレンがそうであるように、人生に絶望しているところからの人生万歳!だから、彼の映画が刺さる人がいるのではないでしょうか。「別に人生に絶望したことなんてないし」という人には刺さらない可能性大ですし、それゆえに好き嫌いが別れて面白いところだと思うのです。

ところどころにその宗教観を感じずにはいられないのも、彼の映画の特徴です。彼はニューヨーク生まれのユダヤ人ですが、幼少の頃の敬虔なユダヤ教の家庭環境のせいで宗教嫌いになったと言われています。「最後に善が勝つとは限らない」「神は沈黙するだけで、救いの手を差し伸べてはくれない」という宗教に対してシニカルな態度が強く感じられるのが『マッチポイント』と『ウディ・アレンの重罪と軽罪』。

『マッチポイント』では、イギリスの上流階級への憧れと野心を持ったアイルランド人クリスが金持ちの友人の妹と結婚し、まさにその階段を上っていたところ、思いがけず友人の恋人であるノラに惹かれていきます。不倫関係を続け、やがてノラは妊娠するが今のリッチな暮らしや野心を手放せないクリスはノラを射殺。なんの罪もないお腹の子どもとノラの命を奪っておいて、彼の犯罪はバレることなく終わります。結局この世界は偶然において成り立っており、運次第。というアレンらしい人生観と、不条理が描かれています。

『ウディ・アレンの重罪と軽罪』も愛人の存在が邪魔になった眼科医が弟と結託して殺すという展開。決行したあと彼は罪の意識に苛まれますが、決して罰せられることなく今まで通りの生活を享受します。彼が後悔しているシーンで神の許しを乞う場面は、皮肉を感じずにはいられません。最後にアレン扮するうだつの上がらない映画監督と初めて出会い会話をするシーンでは、その不条理さから「結局は起こること全て自分の解釈次第」というなんともいえない気持ちにさせてくれます。

アレンと女性たち

ウディ・アレンといえば作品の中でもプライベートでもモテることで有名です。しかし、ルックス的には決してモテる部類とは言い難い彼。それゆえ、作中でアレンが演じる人物がやたらモテるところに違和感とイラつきを感じる人も少なくないのも事実です。しかし、彼に女性を惹きつける魅力があるのはその好かれっぷりを見れば明らか。その魅力について掘り下げてみましょう。

ぶっとんだ恋愛遍歴

アレンは現在の妻を含め3度の結婚をしています。20歳のときに一般人と初めての結婚をし、数年で破綻。30代に入り女優のルイーズ・レッサーと2度目の結婚をするも3年で離婚。そして、結婚はしていなくても公私共に多大な影響を与えたとされているのがダイアン・キートンとの恋愛です。実際に2人が交際していた期間は長くはなかったと言われていますが、彼の代表作『アニー・ホール』は、アレンとダイアンの恋愛を脚色して描いたものとしてあまりにも有名です。
その後にミア・ファローとパートナー関係を築きますが、彼女の養子との交際が発覚します。ここまで書いただけでもお腹いっぱいというか疲れてしまうほどの恋愛遍歴ですが、その後養子であったスン・イー・プレヴィンとの結婚をしてひとまず彼のぶっ飛んだ恋愛遍歴は落ち着きを見せます。

「自惚れていない」という魅力

では、その女性を惹きつけてしまう魅力とはなんなのか。『マッチポイント』でミューズとして起用し、アレンの低迷期を救ったスカーレット・ヨハンソンはこう語ります。

ウディは知的で頭が良くて面白いのに、自惚れてないのよ

 

(『月刊PLAYBOY』2006年5月号より)

彼はもともとコメディアン出身ということもあってか人を楽しませ、かつユーモアを感じられる会話ができる人なのです。それは女性に対してもまた同じくなのでしょう。自惚れていない、というところは彼のこんな言葉からも伺えます。

昔からの夢だった事は全て実現させた。それなのに人生の落伍者みたいな気持ちなのは何故なんだろう?

こんなにも成功している(少なくとも映画監督としてはそう言えるはず)のに、こんなことを言ってしまうアレン。筆者は女なのですが、ここで突然女性目線で言わせてもらうと、この発言はかなりの勢いを持って女のハートに攻め込むパワーを持っているのではないかと思うのです。もちろんそれは女性の種類にもよりますが……ひとまず私なら陥落です、ハイ。

多くの俳優たちがこぞって作品に出たがるのはなぜか

『アニー・ホール』でオスカーを受賞したダイアン・キートンをはじめ、『それでも恋するバルセロナ』でペネロペ・クルス、『ブルージャスミン』ではケイト・ブランシェットがオスカーを手にしています。彼の作品に出たい女優は絶えないと言われており、それは彼の作品に出ることによって多くの女優たちが賞を獲得する、もしくはノミネートされることも関係しているでしょう。
しかしもっと深いところで言えば、彼の作品に出ることによって俳優たちがベストを尽くしたいと思うこと、彼と仕事をすることによって各々の良さを引き出されるからというところに行き着くのではないでしょうか。『それでも恋するバルセロナ』のペネロペ・クルスに至ってはかなりのハマり役で、その魅力が十分すぎるほどにスクリーンから伝わってきます。オスカーを取ったのも頷けるはず。そんな風に自然と女優を輝かせることができるところが、監督としての彼の人気の秘密なのでしょう。

アレンとその映画の魅力

一見精神的に弱々しく、いつも神経衰弱気味ですが、ほぼ毎年1本のペースで絶えることなく映画製作を行ったり、養女と結婚したりするアレン。このような行動は、誰よりも確固とした自分を持ち、強い精神がなくてはできないはず。だから彼の生き様から見えてくる弱さと強さ、そしてそれを反映させた作品たちから目が離せないのではないでしょうか。来年もまた彼の作品が1本増えるのが、今から待ち遠しいです。

この記事を書いた人

なぜハリウッド女優がこぞって作品に出演したがるのか――ウディ・アレンとその映画の魅力(エンタメライター)

佐々木 希

ライター

神奈川県の海沿いの町出身、東京の飛行場の近く在住。
名前によって損したり得したりしているアラサーフリーライター。得意ジャンルはエンタメ、健康、美容、歴史、異文化。翻訳案件も対応致します。趣味は旅、読書、海外ドラマ一気見、猫、新しいことを始めること。

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