AIは人間を幸せにするのか?漫画『鉄腕アトム』が投げかける現代人への問い(漫画ライター)

●『鉄腕アトム』の物語の中では、ロボット法というものがある。その第1条は「ロボットは人間をしあわせにするために生まれたものである」というもの。手塚治虫は「第1条のロボットを科学文明におきかえてみたとき、科学文明は果たして人間をしあわせにできたでしょうか?」と読者に問いかける。
●アトムの前身は「飛雄」、天馬博士が亡くなった息子を模して作ったロボットである。アトムは人間のエゴによって生み出され、その後も人間に振り回される運命をたどる。
●『ホットドッグ兵団』の巻では、「心の中まではかえられるのだろうか。やっぱり脳が生きものであるかぎり、犬をサイボーグにしたって、心は犬だろう。」という言葉が投げかけられる。法を犯すロボットを作るものまた人間であった。
●『地上最大のロボット』の巻では、殺戮兵器として作られたロボット「プルートゥ」のストーリーが描かれる。そもそも人間は何のためにロボットを作ったのだろうか。
●どこまでもロボットに代わりを求める人間だが、人間を幸せにするのはロボットなのだろうか。

十数年前に友人から誕生日プレゼントとしてもらったときから、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』全23巻(別巻3巻含)が私の愛読書となっている。古い作品ではあるが、不思議なことにその物語は、年々と身近なものになりつつある。

連載が始まった1951年ではもちろんのこと、2000年に突入しても人間そっくりで人の心を持つロボットは登場しなかった。しかし、近年ではAI(人工知能)技術が急速に発展しており、私たちの生活にAIロボットが浸透しつつある。会話できるロボット、衣服をたたむ洋服ダンス型ロボットなど……アトムの世界が夢物語ではなくなりはじめているのだ。

そんな近い未来を描いた作品『鉄腕アトム』には、現代に生きる我々が考えるべき手塚治虫からの問いが数多く盛り込まれている。当記事では、漫画『鉄腕アトム』から投げかけられた問いについて考察する。

ロボットは人間を幸せにするために生まれた

人間とロボットが共存する『鉄腕アトム』の世界には「ロボット法」というロボットが守るべき法律がある。その第1条にはこう書かれている。

ロボットは人間をしあわせにするために生まれたものである

そしてコミックス第1巻の冒頭では、手塚治虫がキャラとなって登場、読者に対して以下のような問いを投げかける。

第1条のロボットを科学文明におきかえてみたとき、科学文明は果たして人間をしあわせにできたでしょうか?

この問いをメインテーマとしながら、当作品について考察したい。

アトムは人間のエゴから生まれている

アトムには、正義のヒーロー「鉄腕アトム」になる前の暗い生い立ちがあることをご存知だろうか。

アトムを世に生み出したのは天馬博士だ。彼は交通事故で息子を亡くしており、その悲しみのあまり息子そっくりのロボットを作った。ロボットには亡くなった息子と同じ「飛雄(トビオ)」という名を与え、博士は彼と共に幸せに暮らしていた。

しかしその後、天馬博士は飛雄の致命的な欠陥に気づいてしまう。飛雄は人間のように成長しなかった(背が伸びなかった)のだ。天馬博士は飛雄を商人に売り飛ばし、飛雄はサーカス団に売られてしまう。そこで芸をしている飛雄を見たお茶の水博士が彼を引き取り、空を飛べる能力などを備え生まれ変わらせたのが「鉄腕アトム」なのである。

つまりアトムは、天馬博士が二度と死なない息子を手に入れるために作られたロボットであり、いわば人間のエゴによって生み出された存在だ。そして「人間のように成長しない(背が伸びない)」というロボットならではの特性が理由で追い出されてしまう。生まれながら人間に翻弄されるアトムは、その後も人間に振り回され、ロボットと戦う運命をたどることとなる。

もし天馬博士が成長しない飛雄(不出来さ)を受け入れ、ずっと可愛がっていたのなら――。アトムは飛雄のまま、幸せな子ども(ロボット)として生きられたのではないのだろうか。

法を犯すロボットを作るのもまた人間

続いては、『ホットドッグ兵団』という巻を見てみよう。女王率いるホットドッグ兵団が目星をつけた犬を誘拐し、脳以外をロボットに改造して兵隊にする、というお話だ。

当巻の冒頭では、手塚治虫がこのように投げかける。

心の中まではかえられるのだろうか。やっぱり脳が生きものであるかぎり、犬をサイボーグにしたって、心は犬だろう。

改造された犬は、脳だけはそのままの状態だ。臭いをかいだり「おあずけ」で体が固まったり、飼い主には逆らえなかったり……犬としての本能は失われておらず、作者の問いは肯定されている。

しかしここで「そもそもなぜすべてを改造せず脳だけ残したのか」という当然の疑問が湧き上がる。その理由は、先述したロボット法にあった。ロボット法では「ロボットは人を傷つけたり、殺したりしてはいけない」と定められているのである。完全にロボット化してしまえば、ロボットは人間を攻撃できなくなる。故にホットドッグ兵団は、脳だけを犬にしたサイボーグ兵隊を作ったのだ。

人間がロボットから身を守るために作った法律により、法を犯すことのできる歪んだロボットが生み出される――。このストーリーでは、人間の身勝手さが人間とロボットの共存関係を狂わせていく様が痛烈に描かれているのだ。

本来のロボットの役割とは

『鉄腕アトム』の中でも一番人気と言われているのが、ロボットたちの決闘を描いた『地上最大のロボット』の巻だ。

「世界王者になる」という望みを叶えられなかった富豪は、ロボットの帝王として全世界のロボットの支配者となる「プルートゥ」を作る。そして富豪はプルートゥに対して、アトムを含む最強ロボット7人を倒すことを命じた。

この7人は、山の案内人だったり刑事だったりと、それぞれ使命と役割を持った人々に愛されているロボットたちだ。そんなロボットたちを無慈悲に倒すプルートゥだが、彼は「ただ命じられた」からやっているだけのこと。

ひとりの人間の富や財力を誇示するためだけに作られたプルートゥの宿命にやりきれなさを感じつつ、「そもそも人間は何のためにロボットを作ったのか?」という本来のロボットの役割について深く考えさせられる物語だ。

人間の幸せは誰に委ねるべきなのか

漫画『鉄腕アトム』の中では、これまで紹介したもの以外にも魅力的なストーリーがたくさんある。

人間に対してはおとなしいが、ロボットに対しては残酷なロボットの大魔王が登場する『ロボットランド』。スイッチひとつでジェット機やトラクターに変身するロボットが登場する『十字架島』。毎年お盆になると、亡くなった人そっくりのロボットが家に帰ってくる『ロボット流し』。そして、アトムの人格が変わる『青騎士』。

どれも人間とロボットが共存する社会について考えされられるストーリーだ。「科学文明は果たして人間をしあわせにできたでしょうか?」という手塚治虫の問いが胸に深く突き刺さる。そして同時に「人間の幸せはロボットに委ねられるのか?」という疑問も浮かび上がる。

自分が幸せを感じるのはどんな瞬間だろうか。おいしいごはんを食べたとき、仕事終わりの最初のビール、好きなアーティストの音楽を聴いているとき、誕生日に友達からのメッセージが届いたときなど、挙げればきりがない。そしてこれらはすべて、人と人との関わりや、人の手が作り上げたものによって生み出されていることに気がつく。

『鉄腕アトム』のストーリー内には、エゴイスティックな人間、そしてアトムのようにひたむきなロボットがたくさんいる。「人間が悪でロボットが善である」と叫びたくなるような社会がそこにはあるが、その社会を生み出した原因は「人間の幸せを人(自分)の手に委ねていない」ことにあるのかもしれない。

どこまでもロボットに代わりを求める我々人間だが、果たして人間を幸せにするのはロボットなのだろうか。

人間であることの幸せ

人間に生まれた、自分の幸せ――。私は『鉄腕アトム』を読む度にそれを考えさせられ、人間であることの幸せ、人間だからこそ感じられる幸せを噛み締めている。
『鉄腕アトム』は、アニメのDVDも非常に面白い。ただやはり、手塚治虫が度々キャラとなって登場し、その巻についてのメッセージや問い、苦悩や本音を語るコミックスのほうが断然面白いと感じる。

秋田書店コミックス『鉄腕アトム』全23巻(別巻3巻含)を読んで、あなた(人間)の幸せについて考えてみてはいかがだろうか。

この記事を書いた人

AIは人間を幸せにするのか?漫画『鉄腕アトム』が投げかける現代人への問い(漫画ライター)

Y.KANEYAMA

ライター

大阪府出身。
大手ハウスメーカーで顧客様向け会報誌等のライティング経験あり。また、取材ライターの経験あり。
趣味 読書・映画鑑賞
女性目線のライティングが得意。

このライターに記事の執筆を相談したい

関連記事