和歌における修辞法のひとつ、枕詞。「直接的な意味が無い言葉」として知られています。修辞する言葉も固定されているので、「丸暗記すべきもの」として捉えている方も多いのではないでしょうか。
しかしながら、私は疑問に思うのです。言葉を大切にしてきた昔の日本人が、31文字という限られた文字数の枠の中に不要な言葉を入れるでしょうか。そこには、「訳す必要のない言葉」をあえて入れた理由があるように思えます。
どの枕詞においても、明確な語源は確定しておらず、いまだ多くの説が混在している状態です。それでも、枕詞を「丸暗記すべきもの」として捉えるのではなく、諸説や成り立ちの背景を踏まえたうえで詠むことが、和歌を楽しむ秘訣であると考えています。これにより、日本語特有の「曖昧さ」や「懐の深さ」をよりいっそう味わうことができるはずです。
そこで和歌ファン歴30年の私が、「枕詞」について考察します。競技かるたを題材とした映画「ちはやふる」が話題となっている今だからこそ、当記事で和歌の深みを再確認してみてはいかがでしょうか。
【枕詞1】「山」を導く”あしびきの”
“あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ”
(訳:山鳥の長く垂れ下がった長い尾のような、長い長い秋の夜を、私は一人寝るのだろうか)
百人一首歌3番、奈良時代の歌人、柿本人麻呂の和歌です。この歌における「あしひきの」は、その後に続く山鳥の「山」にかかる枕詞です。なぜ山にかかるようになったのかは明確ではありませんが、たくさんの説があります。
- 国土がまだ固まっていないドロドロした太古の時期、泥に足を取られながら山に登ったという逸話が元という説。
- 仙人や天皇などが痛めた足を引きずりながら山へ登ったという故事が元という説。
- 国造りの神様たちが自生していた葦(アシ)を引き抜いて国土を開いていったときに、捨てた葦が積まれたところが山になったという説。
- 雪道に迷った見習いの僧が詠んだ「悪し日来の……」という歌を元とする説。
- 「馬酔木(あしび・あせび)」の木が生えている山、という意味を元とする説。
- 「足を引きたる城の山」、つまりは山裾を長く引いた形状の山を示す、という本居宣長の説。
上記のような複数の説が混在している、共存している状態が現代でも続いています。
万葉時代を境にニュアンスが多様化
飛鳥・奈良時代の歌を集めた日本最古の歌集、万葉集。当歌集には貴族の歌だけでなく、兵士や村人など身分の低い人々の歌も収録されています。単なる歌集としてではなく、当時の人々の暮らしを知るうえでの大切な史料として扱われる、大変な価値のあるものです。奈良後期の貴族大津皇子が詠んだ、以下の歌を見てみましょう。
”あしひきの 山のしづくに 妹待つと 吾立濡れぬ 山のしづくに”
(訳:あなたを待って山のかげに佇んでいるうちに、山の滴で衣が濡れてしまいました)
柿本人麻呂の歌と同様、注目すべきはその語感です。後ろ髪をひかれるような、未練が残るような、全体的に余韻が残る歌となっています。
これが平安時代に入ると、素直な感情を詠んだ歌よりも技巧を凝らしたテクニック重視の歌が多くなりました。それに伴い、「あしひきの」のニュアンスにも変化が生じてはじめたように感じられます。
「山」だけでなく、音の似ている「大和(やまと)」や「病(やまい)」などにかけたり、「笛吹山」「耳無山」「葛城山」などといった山の固有名詞にかかる使いかたが見られたりと、多様なニュアンスが登場します。これも、「あしひきの」の意味をひも解くためのヒントになるかもしれません。
【枕詞2】「衣服」「白いもの」を導く”しろたへの”
“春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香久山”
(訳:春が過ぎて夏が来たらしい、夏になると白い着物を干すという天の香久山に、真っ白い着物が干されていることよ)
百人一首歌2番、持統天皇の歌です。この歌における「白たへの」は、作品中の「衣」にかかる枕詞です。「白妙」とも書きます。
当時の布は、木や植物の繊維を織って作られていました。「栲(たへ)」とは、現代でも和紙の原料として知られるコウゾ類でできた布または布の総称のこと。つまり「白栲(しろたへ)」は、白い布を意味しています。そのため、「しろたへの」は、「衣」「衣手」「袖」「帯」などといった衣服に関連した言葉にかかるようになりました。
コントラストの効いた風景を描写する
また、その白い色から連想される「雪」「雲」「波」「砂」「月」などにもかかることがあります。山の上に降りる雪の情景や、夜空にたなびく雲の様子などといった、コントラストの効いた風景の美しさを醸し出す役割を果たしています。
“まそ鏡 照るべき月を 白たへの 雲か隠せる 天つ霧かも”
(訳:鏡のように照るはずの月を、白い雲が隠しているのでしょうか。それとも天の夜霧が覆っているのでしょうか)
さらに、布(白栲)の原料のである「藤」や「柏」に関連する地名「藤江」や「柏」にかかる例や、木綿(ゆふ)と音の似ている「夕波」「ゆふつけ鳥」にかかる例も見られます。まるで連想ゲームのように、見た目が似ているもの、音の響きが近い言葉を巻き込んでいるのが枕詞なのです。
【枕詞3】「神」を導く”ちはやふる”
“ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは”
(訳:不思議なことがよく起こったと言われる神代のことですら聞いたことがない。この龍田川が、水を紅葉で真紅にくくり染めにするなんて)
百人一首歌17番、在原業平が詠んだ歌です。コミックや映画のタイトルでも知られる枕詞「ちはやふる・ちはやぶる」は、千早振る・千磐破とも書き、「荒々しい」「勢いのある」といった意味の言葉です。古代においては”ちはや「ふる」”と清音で読まれ、時代が進むにつれて”ちはや「ぶる」”と濁る読みかたも出てきました。
この枕詞の場合は、発音の際の音が意味を読み解くポイントとなってきます。「チ」は「オロチ(大蛇)」「イノチ(命)」「イカヅチ(雷)」のチに類するもので、大いなる霊格と激しい威力を示しています。そして「ハヤ」は勢いの激しさを表し、「フル・ブル」はその勢いが広範囲に及ぶことを示しています。
人間の意思や作られた秩序の外にあり、時にすべてを打ち破るほどの恐ろしい威力を意味し、人知を超えた存在としての「神」にかかるスケールの大きな枕詞です。
「神」に直接かかるほかに、上記の歌のように「神代(世)」「神の社」「神無月」など神を含む語句にかかっていたのが、時代が進むにつれて「天の岩戸」「斎垣」「玉の簾」など、神を連想させる語句にかかるようになってきました。さらには「加茂の社」「布留(ふる)」など、特定の神社や地名などにも使われるようになりました。
本来神とは、非常に恐ろしいもの。願いを託しはすれど、なによりもその怒りを恐れ畏怖する気持ちを抱かせるものが、神の存在でした。
高級茶葉の栽培地「宇治」との意外な関連性
ちなみにこの「ちはやふる」は、地名「宇治」にかかることでも知られています。宇治は大和と近江を結ぶ街道沿いにあり、宿泊地や都の貴人たちの別荘地としても有名な場所でした。
とはいえ、高級茶葉の栽培地としても有名な「宇治」のどこが荒々しいのでしょうか……。ひとまず、古今和歌集に収録された以下の歌を見てみましょう。
“さむしろに 衣かたしき 今宵もや 吾を待つらん 宇治の橋姫”
(訳:狭いむしろの片方だけに自分の衣を敷いて、今夜も私を待っているのだろうか、宇治の橋姫のような私の恋人は)
当時、このような宿泊地や別荘地は、貴人たちの現地妻や遊女のような春をひさぐ女性たちとの関わりが強い場所でもあったようです。また、宇治川にかかる橋には「嫉妬に狂って鬼になった女性がいる」という話があったり、目くるめく平安絵巻『源氏物語・宇治十帖』の舞台であったり……波乱の予感がある土地ではありますが、肝心の「神」や「荒々しさ」につながる要素はなさそうです。
これらについて気になって仕方がなかった私は、様々な資料をあさって見ることに。すると、「宇治」と「ちはやふる」に関する興味深い説が見つかりました。
「宇治」は同音の「氏」を示したもので、政権に従わない、いわゆる反政府勢力の一族「氏」に「荒々しい」という意味を持たせた、という説です。
ほかにも「古事記」には荒々しい人=チハヤヒトを「宇治」に接続した例や、「ちはやぶる 宇治の渡りに……」といった歌謡、古今集にも「ちはやぶる 宇治の橋守……」などといった、ちはやふるを宇治にかけた例はいくつか見られます。
しかしながら、いまだはっきりとしたことは分かっていません。今後の研究が待たれるところです。
【枕詞4】「天空関係」を導く”ひさかたの”
“久方の 光のどけき 春の日に しずこころなく 花の散るらむ”
(訳:春の光がのどかに差し込んでいるこんな日に、どうして落ち着いた心もなく、桜は散り急いでいるのだろうか)
百人一首歌33番、紀友則が詠んだ歌です。「ひさかたの」は、この歌では「光」にかかっています。ほかにも、「天」「空」「雨」「月」「雲」などといった天空関連の言葉に多くかかる枕詞です。
「日射す方」を意味するという説や、天蓋の丸みを瓢(ひさご=ひょうたんの意味)と捉えて「瓢形(ひさかた)」を意味するという説もあります。
漢字の表記を見ると、「久方」(=きわめて遠い彼方にあるもの)、「久堅」(=長い間堅固なもの)と示されており、当時の人々の天空に対するイメージがうかがえます。また、「久堅」の方の意を汲み、長期にわたる堅固な状態が望まれることから、「都」にかかる場合もあります。
万葉集などの上代の使いかたでは、「天」そのものへかかることが多くありました。そして時代が進むにつれ、その使われかたも複雑になっていきます。平安時代では流行りのように「月」や「雲・雲居」「光」にかかる歌が多く詠まれ、「月の中には桂の木が生えている」という伝説から、「桂」にかかることもありました。
宇宙科学が発展した現代では、空が色を変える理由や、星々の姿など、おおよそのことは分かるようになってきています。しかし、当時の人間たちはそれを知る由もありません。
人間にとって、「何か分からないこと」や「正体・理由の不明な事象」ほど恐ろしいものはありません。災害や疫病の流行、雷や大雨などの自然現象などもその対象でした。人知を超えた「何か」への対処法として、人々は物語を作り、伝承や語りの形式で人々の間で認知していったのです。
「曖昧さ」がおもしろい和歌の世界
言霊信仰の国である日本では、一つひとつの言葉に深い意味があり、それらすべてに多くの技巧が凝らされています。確認されている枕詞の数は1200種以上。その一つひとつにドラマがあり、それが和歌のロマンであるとも言えます。
たとえ意識することは少なくても、古代の人々が信じた言霊信仰は、現代に生きる我々の心にも確かに流れています。だからこそ、1000年以上も前に詠まれた歌が、時を超えた今でも私たちを魅了するのでしょう。
また、本日2016年6月16日、当記事筆者である私の著書『百人一首がおもしろい!歌に込められた想いをもっと感じる5つのルールと3つのコツ』が発売となります。
現代にも通じる和歌の世界観を分かりやすくひも解いたビギナー向け和歌鑑賞本となっていますので、「和歌に興味はあるけれど何だか難しそう」「学生の頃習ったけど忘れてしまった」という方にも楽しんでいただけると思います。ぜひご覧になってみてくださいね。
【目次】
はじめに
第一章 百人一首が作られた背景と読み方のコツ
一.言霊信仰の国 日本
二.これさえ押さえればスイスイ読める[五つの基本ルール]
三.もっと感じるために知っておきたい[三つのコツ]
第二章 百人一首 愛の歌 恋の歌
一.揺れる女・待つ女
二.求める男・責める男
三.届かない想い
四.秘密の恋
五.欲張りな愛情
六.別れるために
第三章 百人一首的 嘆き方
一.過ぎ行く時を嘆く
二.失ったものを嘆く
三.孤独を嘆く
第四章 五感で楽しむ百人一首
一.「音」に心を震わす
二.「見ていないもの」を詠む
三.「冷たさ」を感じる
四.「香り」の記憶
五.「味」に思いを馳せる
おわりに
参考文献
『一冊でわかる 百人一首』吉海直人監修 成美堂出版
『ビギナーズ・クラシックス 古今和歌集』中島輝賢編 角川文庫
『短歌名言辞典』佐佐木幸綱・東京書籍
『万葉びとの心と言葉の事典』井上辰雄・遊子館
『歌ことば歌枕大辞典』久保田淳・馬場あき子編・角川書店
『万葉恋歌』永井路子・光文社