動物好きに伝えたい!日本唯一の野生馬「岬馬」の波乱万丈な歴史

●岬馬は宮崎県の都井岬(といみさき)に生息する日本の在来馬で、日本唯一の野生馬。
●牧場の怠惰な管理方法が岬馬を野生化にさせた。
●空襲の被害を受け、半数以上が被害に遭い絶滅の危機に。
●岬馬は現在観光資材として利用され、地元振興と保護活動が同時に行われている。
●岬馬は人間がいかに野生動物へ強い影響力を持っているかを教えてくれる。

最近、どこかで野生動物を見かけたことはありますか?見かけたとしても、大半が野良猫やカラスではないでしょうか。野生動物は、私たちの生活圏内で見かけることもありますが、多くは人の目から離れた場所で暮らしています。
私は都会で生まれ育ったため、多くの方と同様に日常で野生動物と関わることなく、生活をしてきました。しかし、大学在学時に文化財保護活動について研究をしている中で、ある野生動物と出会いました。それが、今回紹介する「岬馬(みさきうま)」です。
岬馬は宮崎県の都井岬(といみさき)に生息する在来馬で、日本唯一の野生馬です。岬馬は現代まで生き残ったことが奇跡といえるほど、波乱万丈な歴史を歩んできました。そのため、他の家畜馬にはない“独自の生態”が残されています。
このような独自の生態や歴史が残されていることは、野生動物の一番の魅力であり、ここから多くのことを学べると私は思います。本稿では、あまり知られていない岬馬の魅力について、お伝えしたいと思います。

馬界の“激レアさん”!岬馬はココがすごい

「岬馬は日本の在来馬で、日本唯一の野生馬」と聞いても、一体何がすごいのか分からない方も多いと思います。具体的な数字を挙げると、日本には約7万5,000頭の馬がいますが、その大半が競馬用のサラブレッド種(交配によって外国馬の血が入っている馬)と、食用の家畜馬で占められています。
岬馬はサラブレッド種ではなく在来馬、つまり外国馬の血が混ざってない、古くから日本で生きている馬です。現在、在来馬の数は日本全国で約1,800頭。そのうち家畜ではなく野生馬は岬馬ただ1種で、わずか120頭しか生息していません。これは日本にいる馬の0.1%ほどの数になり、かなり希少な存在ということが分かります。
また、ハーレム行動など他の馬には見ることができない珍しい性質を持っている岬馬は、生物学の視点からも珍しい存在といえるのです。

家畜からの解放!こうして岬馬は野生に返った

私は「岬馬は野生の馬だ」と先述しました。ここで疑問を持たれた方は、大変動物に詳しい方だと思います。日本の馬は、6世紀頃に大陸から人の手で持ち込まれたのが起源といわれています。つまり、日本に野生馬は存在するはずがないのです。
岬馬は、正確には家畜の馬が野生へ返った「再野生化した馬」といえます。それでは、なぜ岬馬だけが家畜から野生に返る道を選んだのでしょうか。
江戸時代、軍馬生産を目的として都井岬に牧場が設置されたことが、岬馬の起源とされています。当初、岬馬は牧場で人の手によって生産され、軍用の馬として売買されていました。この牧場は管理方法が特徴的で、「周年放牧」という方法をとっていました。つまり、1年中放ったらかしにしていたのです。
これには、都井岬が宮崎県南端のかなり辺境な場所にあるという地理的な要因と、当時林業が繁盛していたため馬の生産を二の次にしていたという経済面での理由が考えられます。人の都合で都井岬に連れて来られたにもかかわらず、放ったらかしにされる馬の目線に立ってみると、何て人間は自分勝手なのでしょうか。この怠惰な管理方法が日本唯一となる野生馬の誕生につながるのは、ある意味では奇跡ともいえるでしょう

絶滅の危機到来!戦争を経て迎えた転機

by photoAC

岬馬は次第に人の手を離れ、野生馬となっていきます。当初は人間に懐く馬もいたといわれていますが、時間の経過とともに完全に野生化し、それ以降、人と一定の距離感を保って生活するようになりました。穏やかな生活を送っていた岬馬ですが、またも人間の手によって命を脅かす危険に巻き込まれてしまいます。
宮崎県の南端にある都井岬は太平洋を眺望するのに適しており、古くから灯台が設置されていました。戦争の際、岬馬はこの灯台を狙う空襲に巻き込まれてしまいます。当時の状況を記した資料によれば、戦前に生息していた馬の半数以上が犠牲になり、30頭~40頭まで減ったとされています。
絶滅の危機に瀕し、地元では岬馬の保存運動が活発になっていきます。そして、1953年に岬馬は天然記念物に指定され、正式に保護対象の野生動物として認識されるようになりました。

今、現地で築かれる人と馬「win-winの保護活動」

ここまで岬馬が歩んできた歴史を紹介してきましたが、最後に現在の岬馬についてお伝えしたいと思います。
先述したとおり、現在も国の天然記念物として岬馬の保護活動は続いています。しかし、2000年代頃から、過疎化や高齢化を背景に保護活動の継続が危惧されるようになりました。これをきっかけに、ただ保護するだけでなく岬馬の魅力や価値を未来に継承し、地域振興を行おうと、観光資材として利用する動きが活発になったのです。現在では「保護活動」と「地元経済の振興」を両軸に活動が行われています。こうした活動は岬馬に限らず日本各地で行われていますが、活動の代表例としても挙げられるほど、岬馬の保護活動は注目されているのです。

野生動物を深く知るには歴史や事実を理解することが大切

岬馬は時代によって①軍馬生産のための家畜②飼育放棄により野生化③戦争の被害を受け絶滅の危機④地元の人々からの保護➄観光資材として利用、というように、人間の影響を強く受けながら、何とか現代まで生存してきました。
岬馬は野生動物としての魅力はもちろんですが、その背景から人間が持つ「野生動物に対する影響力の強さ」を知ることができます。さらに留意したいのは、過去の人々は動物を傷つけようと意図的な行動していたわけではなく、「意図せずに野生動物の命を脅かしてきた」という点です。この事実を知ることは、野生動物との共生を考える上で非常に大切です。
本稿を最後まで読んでいただいた方は、動物好きの方がほとんどだと思います。日本には他にもユニークな野生動物がたくさんいますので、その魅力に触れながら、改めて周囲の野生動物や保護活動をする団体に注目してみるのはいかがでしょうか。

この記事を書いた人

動物好きに伝えたい!日本唯一の野生馬「岬馬」の波乱万丈な歴史

小林建太朗

ライター

東京都出身、現在は千葉県在住。まだまだ駆け出しライターです。
現在は趣味を武器に、競馬の記事を毎週書いています。
(その他にも、グルメ、教育、就職のテーマは執筆経験あり。)
趣味は ホラー映画鑑賞や歴史、お酒など、かなり多趣味です。
お仕事を頂きましたら素早く、丁寧に対応させていただきます。

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