作り手視点で脚本技術を解析!藤子先生時代『大長編ドラえもん』に施された仕掛け

●藤子・F・不二雄先生が脚本を担当されていた『大長編ドラえもん』には、脚本上のさまざまな仕掛けが施されている。
●読者が安心して作品に没頭できるように「お約束」を利用していた。
●作品独自のゲストキャラクターに対し、スムーズに感情移入して彼らの物語を堪能できるよう「起承転結」を段階的に構成していた。
●作品の「メッセージ性」を読者の心に深く残すために、ストーリー中に暗示的な刷り込みを行っていた。
●疑似的なVR世界を題材にした作品やダミーのエンド表記など、斬新なアイデアを数々生み出していた。
●藤子・F・不二雄先生の巧みな脚本技術を知ることで新たな視点から『大長編ドラえもん』を楽しめるよう、元漫画編集者視点で解説する。

来年公開予定の『のび太の月面探査記』を合わせると39作品が製作されている『大長編ドラえもん』。私が初めて触れたのは小学生の頃、5作目の漫画版『のび太の魔界大冒険』でした。「もしも魔法が使える世界になったら」と願ってしまったがために、異世界を大冒険することになったのび太達。畳み掛けるようなどんでん返しにワクワクし、キャラクターの心の交流にグッとこさせられる。当時の私は、読み進む手が止まらず……。それを原風景のひとつとして、私は「漫画に携わる仕事がしたい」と漫画編集者の道に進みました。

しかし、近年はなかなか『大長編ドラえもん』を読み返すことができませんでした。一口に「漫画が好き」と言っても、子供と大人の感性はまったく違います。今読み返したとて、当時のような感動は帰ってこないのではないか……。

結果としてそれは杞憂で、当時と同じ、いやそれ以上の感動を味わえました。なぜなら、原作の藤子・F・不二雄先生の深謀遠慮ともいえる、さまざまな脚本作りの仕掛けが隠されていることに気づいたからです。例えば『のび太の魔界大冒険』。「ダミーのエンド表記」などの斬新なアイデアに加え、読者の感情移入の度合いを測りつつ、段階を経て作品に入り込むように脚本が構成されているのです。

作品の面白さそのものをストレートに堪能するだけでなく、作り手の技術の高さを確認して得られる感動もまた、コンテンツの楽しみ方のひとつです。大人の皆さん、もし『大長編ドラえもん』を「子供向け」だと敬遠しているのだとしたら、それは非常にもったいないです。今回は私の漫画編集者としての経験から、藤子・F・不二雄先生自身が作画された漫画版に焦点をあて、その秘密の一端を皆さんと共有したく思います。

まずは安心感。そして、段階を踏んだ上での読者を没入させる大冒険

物語作りの基本といえば、多くの方が「起承転結」を思い浮かべるでしょう。大長編ドラえもんは、その起承転結を二段階的、時には三段階的に用いることで、読者がスムーズに物語に没入できるよう構成されています。

「安心感」とは?

これは二つの意味があります。一つは「期待に応えてくれるかどうか」、もう一つは「帰ってくる所があるかどうか」です。今も昔も、一定の「安心感」がなければ読者はついてきてくれません。大長編ドラえもんは独立した物語とはいえ、あくまでスピンオフ作品というのもあります。

藤子・F・不二雄先生の大長編ドラえもんでも多くの場合、「ジャイアンとスネ夫を見返すためにのび太がドラえもんに泣きつく」というお約束からスタートしています。これによって、見知った「のび太の日常」と地続きのものとして冒険は存在することを表現しています。ハラハラドキドキしても、最後には「のび太の日常」に帰って来られる安心感を得られるのです。

二段階、時には三段階ともいえる「起承転結」の構造

大長編には作品独自のゲストキャラクターが必ず登場します。作品の大枠としての「結」は、物語上の彼らの結末でもあるのです。しかし、まだ感情移入していないゲストの喜怒哀楽、感情の揺れ動きを冒頭から見せるだけでは、読者は没入できません。大長編では、起承転結を段階構造的に用いることで、読者がスムーズに没入できるよう構成されています。

第5作『のび太の魔界大冒険』

もしもボックスで「科学の代わりに魔法が発展した世界」を作るのび太。作品中盤、もしもボックスが焼却され、元の世界に戻せなくなってしまう。のび太とドラえもんは責任のなすりつけあいをするが、最終的には和解。その後、本作の重要ゲストである美夜子という魔法使いの少女と共にのび太達は敵と戦う。

第11作『のび太のドラビアンナイト』

しずかちゃんが8世紀ごろのアラブで行方不明になってしまった。彼女を救出するために、のび太達は奮闘する。その過程で重要ゲストであるシンドバッドと出会う。しずかちゃんを救い出した後、彼の物語が展開される。

二作品共に、まずのび太達レギュラーキャラクターの感情の揺れ動きを描き、その過程においてゲストキャラクターを見せて感情移入を進め、最終的にはゲストの結末へと至らせています。いわば二段階構造的に、時には三段階構造的に起承転結を用い、飽きさせず、違和感なくゲストキャラクターに感情移入できるよう配慮されているのです。

メッセージ性とリンクさせた劇中トラブル・その解決までの描き方

大長編には「自然破壊への警鐘」「科学技術の暴走」など、メッセージ性が強い作品が多いです。それをそのまま提示しても、押し付けがましくなり、読者の心に届きません。藤子・F・不二雄先生は脚本において、それを暗示する形でストーリー中に読者に刷り込んでいました。

第6作『のび太の宇宙小戦争』

軍事独裁政権により自由を奪われた、小人型宇宙人の惑星が舞台。最終的にのび太達が独裁政権を倒すことで、生命が本質的に持つ「自由の尊さ」が描かれるのだが、その過程においてスモールライトを奪われたことで体が元に戻せなくなってしまう。後にスモールライトの効果切れにより、本来の大きさを取り戻して敵を撃退する。これにより、人間が本来持つ力・自由意志の偉大さを暗示させている。

第16作『のび太と銀河超特急』

SL型宇宙船「銀河超特急」を舞台にした作品だが、のび太達が未来人に「昔者」とバカにされるシーンがある。最終的にのび太達が活躍して彼らを救うため、逆説的に「物事に新旧はあっても優劣は存在しない」ことを描いている。途中、宇宙SLが故障するのだが、廃棄されていた別の宇宙SLを入手し危機を脱する場面がある。これにより、古きものの良さを暗示させ読者に刷り込んでいる。

このように、いずれもメッセージ性とリンクさせた劇中トラブル及び解決を描いています。読後にメッセージ性が残るよう工夫されているのです。

VR世界を題材に!?その他、斬新なアイデアの数々

現在のコンテンツ業界にはVR(仮想現実)ゲームを題材にした作品が多く作られていますが、大長編ドラえもんにもその先駆けといえる作品があります。

第14作『のび太と夢幻三剣士』

「気ままに夢見る機」というひみつ道具を題材にしている。これは、さまざまなゲーム的世界観を、夢を通してフルダイブ型で体験できる装置だ。電脳世界ではないにしても、疑似的なVRを題材にした作品である。

ダミーのエンド表記を置くという斬新なアイデア。これによって、読者に強い驚きを伴って終盤への関心度を高めさせています。

第5作『のび太の魔界大冒険』

途中、未来から駆け付けたドラミちゃんのもしもボックスで世界を元通りにしようとするシーンがある。ここで実際に「のび太の魔界大冒険 おわり」というエンド表記をコマ内に置いている。しかし、その続きがあり、のび太達は再び敵と立ち向かう。

藤子・F・不二雄先生の脚本力の高さと「想い」を垣間見る楽しさ

このように、藤子・F・不二雄先生は脚本にさまざまな仕掛けを施し、我々を楽しませてくれています。そこには長年漫画家を続け、ご自身の中で熟した漫画への想いが込められていたはずです。原作者自らいくつものスピンオフを手掛けた作品は、『大長編ドラえもん』の他にほとんど存在しません。作者が何を抱え、何を伝えたくてその作品を描いたか。想いを馳せながら読むのもまた、漫画の楽しみ方のひとつです。

この記事を書いた人

作り手視点で脚本技術を解析!藤子先生時代『大長編ドラえもん』に施された仕掛け

八田密男

ライター

東京23区在住。東京大学文学部卒業。
出版社にて漫画雑誌の編集者として勤務の後、フリーのライターに。
エンタメ関係、特に漫画アニメ・萌え系コンテンツに深い知識があります。
また、集団塾講師の経験もあり、教育関係に対しても関心があります。
その他、映画鑑賞・ラーメン店巡りが趣味です。前者はホラー系、後者は永福町系が特に好みです。
皆様に寄り添う記事を書きたいです。よろしくお願いいたします。

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