「青森県」「祭り」と聞いて、皆さんはなにを思い浮かべますか?にらみを利かせた人や大きな動物をかたどった灯籠がぐるりと回り、太鼓と笛や鐘に合わせて参加者が跳ねるとたくさんの鈴が鳴り響く――「青森ねぶた祭」を多くの方が思い浮かべるかもしれません。
しかし、青森県には他にもスゴい祭りがあるんです!「八戸三社大祭」(はちのへさんしゃたいさい)という祭りの名を聞いたことはありますか?変型して高さ10mまでも巨大化する山車。それでいて300年もの伝統を有する祭りです。2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録され、日本が世界に誇る祭りのひとつとしても有名になりました。
青森にある実はスゴい祭り、八戸三社大祭。この八戸三社大祭について、実際に山車を製作しながらお祭りライターとして活動している私が、毎日の山車製作作業や祭り本番の運営などを通して感じたこと、祭りに対して思うことなどを交え、山車の構造や製作のウラ側なとあわせてご紹介します。
八戸ってどこ?三社大祭ってなに?
そもそも八戸市をご存じない方もいらっしゃいますよね?八戸市について、そして三社大祭について簡単にご紹介します。
青森県の南端・八戸市
八戸市は青森県の南端に位置し太平洋に面する全国でも有数の港町としても知られています。イカの水揚げは長年全国1位として教科書にも載っていました。また青森県内では青森市に次いで2番めに人口の多く、1番人口密度の高い市町村でもあります。
北国らしくスケートやアイスホッケーの強豪としても有名ですが、近年では伊調馨選手をはじめレスリングの強豪を生み出すことでも有名となりました。
そしてこの八戸市、なんとB-1グランプリ発祥の地なのです。八戸市のせんべい汁は全国でも有名なB級グルメですね。
八戸三社大祭
「はちのへさんしゃたいさい」と読みます。八戸市にある、神明宮・おがみ神社・長者山新羅神社の3つの神社が合同で催す祭りで、その人出は毎年100万人以上。300年の歴史を誇る古式ゆかしい神事としての祭りであるとともに、変革と進化を遂げてきた珍しい祭りでもあります。このように歴史・伝統・そして進化が混在する姿こそがユネスコ無形文化遺産の登録へと繋がりました。
そして八戸三社大祭の特徴はなんと言っても山車の豪華さと大きさ、そして仕掛けによる変形!これについては次の項目からご説明します。
八戸三社大祭の山車・製作のウラ側
八戸三社大祭の山車は、特定の専門職の人が作っているわけではありません。全てが「山車組」というチーム全員の手で作られているのです。以下では、普段見ることのできない製作のウラ側をご紹介します。
「山車の構図」設計から完成まで
八戸三社大祭の山車の特徴は変形して大きくなること。山車の構図や設計も大きくなった状態でどのように見栄えするか、その物語が見る側へ伝わるかを考え構想を練ります。この時点ではまだ構想者の頭の中だけに山車が存在する状態です。
その構想から山車絵を描き、これを元に山車を作り上げるのです。しかし、実物の山車は各部が仕掛けにより動くので山車絵の通りに配置するのはとても大変な作業。どの山車組も一人で山車を完成させることは到底できません。山車組というチームがあってこそ豪華絢爛な山車が出来上がるのです。
「山車組」山車の作り手というフシギな集団
八戸三社大祭の山車は、青森ねぶた祭におけるねぶた師のように特定の専門職の人が作っているわけではなく、その製作過程のほとんどが一般人の手によって作られています。
そしてこの山車組という山車の作り手集団、本当にフシギな人たちが集まって成り立っているのです!
本職では総務課だけど山車組では人形師、本職は事務職なのに山車組では武器職人、ライターだけどからくり屋、設備屋なのに大工、銀行員だけど彫刻師、保育士なのに仕立て屋……などなど。
本職とは一切関係ない特技を持ち合わせたメンバーから成るフシギ集団、それが八戸三社大祭の山車組なのです。
身近な素材が生まれ変わる!山車作りの材料とは
さてこの象さんの横の岩、なにでできていると思います?
答えは段ボール箱。
こちらは金色の装飾金具。八戸三社大祭の山車を豪華にしている特徴のひとつでもありますが、素材はと言うと……。
お店のポップパネルなどに使われるスチレンボードです。
このように、八戸三社大祭の山車は身近な素材から作られ、いかにそれを本物以上に見せるかを追求し続けています。
青森ねぶた祭と八戸三社大祭・異なる意味の参加型祭り
こうして一般人が身近な素材を使って作る山車。しかし出来上がったものはプロ顔負けのものばかりで、日本各地の劇団から舞台道具として購入依頼が来るほどです。
八戸三社大祭は祭り本番に参加する他に、山車の製作に参加してその豪華さや出来栄えを競い合うという楽しみがあります。そこには山車組というチームとしての一体感、苦労を共にした後に訪れる達成感があります。
一方、青森ねぶた祭は跳人(はねと)として誰でも飛び入りでき、その場にいる人と共に味わう高揚感はとても気持ちのいいものです。このように意味合いは違いますが、八戸三社大祭と青森ねぶた祭はどちらも参加型の祭りと言えます。静と動、作る喜びの後に訪れる達成感、興奮の渦で味わう高揚感。どちらの祭りにも熱い情熱があるのです。
機械仕掛けのからくり変型山車
全国でも珍しい、からくり仕掛けによって変形、巨大化する山車。各山車組によって様々な工夫がなされています。その一部をご紹介しましょう。
なぜ山車が巨大化?
八戸三社大祭の長い歴史の中で、各山車組は山車を競い合ってきました。豪華に、派手に、大きく、目立つように。そうして山車はどんどん大きくなっていきます。
しかし、戦後電話の普及により電線が張り巡らされると、高さが制限された山車は横方向へ大きくなり始めます。そして昭和50年台、横方向の大きさが道路幅一杯にまで達した山車は再び高さを求め始めます。ここでせり上がりの仕掛けが登場したのです。
電線の下を通過する際には小さく折りたたみ、障害物のない場所では大きく展開して巨大化する山車。各山車組はこぞってからくり仕掛けを導入し、現在では八戸三社大祭に参加する27台の山車全てが仕掛けによって変形するようになっています。
変形前と変形後・高さはビル3階分以上!
現在では事故防止のため山車を畳んだ状態、展開した状態それぞれにサイズ上限が設けられています。畳んだ状態での規定は幅4.5m、高さ4.5m、長さ11m。
これが展開した状態では、幅8m、高さ10m、長さ11mにまで巨大化します。
そしてこの仕掛けを展開する場面が見どころのひとつでもあります。
山車の仕掛けはどんな仕組み?
山車の仕掛けは油圧装置、伝動装置、空圧装置、滑車装置など各山車組によって様々です。
山車が展開したときに、構図として狙った場所に人形や飾りが配置されるよう創意工夫を凝らしているのです。
伝統と機械仕掛けが融合・進化する祭り
300年の歴史と伝統がありながら、機械仕掛けで変形する山車。この一見相反する2つの要素がうまく融合しているのが、八戸三社大祭なのです。見るものへ機械仕掛けによって巨大化する様は驚きを与え、伝統技法や創意工夫により生み出される和の趣は感動を与えます。
守り続けるのではなく、進化を続ける祭り。そこには祭り本来の意味、神々と人々を喜ばせるという思いが込められています。八戸三社大祭は、見た人の記憶に残り続ける祭りなのです。