ただのエンタメ漫画にあらず!文学作品としての『東京喰種』のすゝめ(マンガライター)

●主人公カネキの性格は太宰治とそっくりである。
●ドラマチックな人生を送らずにはいられない太宰治とカネキケン。
●カネキは太宰治が心中するのと同じようなノリで無茶な戦いをしてしまう。
●『東京喰種』は「正しさとは何か?」という文学的な問いを含んだ物語である。
●『仮面ライダー』におけるショッカーのような「分かりやすい敵」がいない。
●時代の空気が実に見事に描かれており、現代社会を見つめ直すきっかけを与えてくれる。
●作品を読むことで人間的成熟を促してくれる。

アニメ化や映画化が相次ぎ、熱狂的なファンも多い漫画『東京喰種(トーキョーグール)』。いわゆるダークファンタジーモノとして描かれている作品だが、その魅力には一言では語れない様々な側面がある。単純にストーリーを楽しむファンもいれば、ミステリー要素を楽しむファン、キャラ萌えを楽しむファンなど、楽しみ方も人それぞれだ。

しかし、この作品を楽しむなら是非とも押さえておきたい要素がある。それは『東京喰種』の独特の世界観を彩る「文学的要素」だ。

事実、作中では文学作品からの引用も多く、また物語の舞台が喫茶店であったり、重要なキャラが小説家として登場したり、喰種が人間の食べ物の中で唯一摂取できるのが珈琲であったりと、作中の様々な要素が文学的イメージと重なる。『東京喰種』の文学的側面を理解していけば、本作をさらに深く楽しむことができるだろう。

それでは「文学」をキーワードに主人公カネキの内面や、物語の構造を分析し、紹介していこう。

太宰治の生き方と比較して読み解くカネキの行動

本作の主人公である「金木研(カネキケン)」。作中でも触れられるが、彼の「金木」という苗字は、太宰治が生まれた町である金木町から付けられたようだ。
しかし、太宰にちなんでいるのは名前だけはない。実は彼の性格傾向そのものが太宰と大変似ている。まずはカネキの行動を太宰の生き方と照らし合わせて見ていこう。

理想家で自己陶酔的な生き方

『東京喰種』の読者の方は、カネキがいつも無茶な戦い方をしている印象を持っているのではなかろうか。確かに彼は自分の身を危険晒すような自己犠牲的で無謀な戦いをする場合が多い。
どうしてカネキはわざわざそんな行動をとってしまうのか。それは、彼の性格がドラマチックな人生を求めてしまうからだ。

ご存知の方も多いと思うが、太宰治と言えば愛人と心中を繰り返しており、結局彼が亡くなった原因もそれである。太宰の小説『斜陽』には、以下のような一節がある。

私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。

カネキ自身も、作中でこの言葉を引用している。

彼らの性格傾向を心理学的に見た場合、彼らは同じ属性に分類できる。特徴としては「影のある印象を抱かせる」「理想家」「自己陶酔的」などが挙げられるだろう。上で挙げた小説の一節は、これらの特徴を端的に示している。

最初に指摘した「カネキは自己犠牲的で無謀な戦いを選択してしまう」性格も、これらの要素によるものだ。つまりこのタイプの性格傾向を持つものは、理想家で自己陶酔的なため、無意識にドラマチックさを求めて行動してしてしまう。

太宰の心中エピソードからも分かるように、このタイプは自己陶酔的なところも相まって、悲劇の主人公を積極的に演じてしまうのである。

カネキの特殊な立ち位置によって際立つテーマ性

文学の特徴のひとつは、ある時代や社会、あるいは思想に対する「問い」を含んでいることだ。『東京喰種』は様々なテーマが含まれた作品であるが、中でも際立っているのは「正しさとは何か?」という問いである。このテーマを強調するために本作はユニークな仕掛けが施されている。
カネキは事故に巻き込まれたことで喰種になってしまった元人間であるが、特徴的なのは「人間側と喰種側のどちらか一方に付くわけではない」というところである。

喰種とショッカーの違い

元人間である主人公が、あるきっかけで人間でなくなり、特殊な力を手にして敵と戦う話は多い。『仮面ライダー』を始めとする石ノ森ヒーローや『デビルマン』などである。しかし『東京喰種』が『仮面ライダー』などと違う点は、喰種になったあとのカネキは「特定の種族のために戦うわけではない」というところである。
『仮面ライダー』においては、あくまでショッカーは敵であり、人間という種族は守る対象だ。人間であるという理由だけでライダーは守ってくれるのである。ここでは敵味方の区別がハッキリしている。

一方『東京喰種』において、カネキは人間を守るために喰種という種族そのものを敵に回すわけではない。かといって、喰種を守るために人間という種族を倒すわけでもない。
カネキは「人間」や「喰種」といった種族で相手を見ていない。作中では喰種の凶暴さや暴力性を描く一方、人間の冷徹さや残忍さも描かれている。このように人間、喰種を公平に描くことによって、『東京喰種』は単なる勧善懲悪モノのエンタメ作品にはない強い文学性を帯びることになる。

だからこそ、この作品を読んだ読者は「正しさとは何か?」という「問い」を強烈に突きつけられることになるのだ。

排他的な時代の空気を反映する描写

先程、文学というものの特徴のひとつは、ある時代や社会、あるいは思想に対する問いを含んでいることであると書いた。そういった意味で『東京喰種』は、現代における社会の空気を実に上手く描いていると言える。
この作品の冒頭部分、カネキがまだ人間であった時ときの喰種に対する認識は「喰種=怪物」というものだ。これは作中における人間側の一般的な認識である。だからこそ捜査官は喰種に対し「駆逐する」という言葉を使う。

一方、現代の社会においても、ある特定の集団や属性を持つ者をラベリングし、排除するような動きが顕在化しているのはご存知であろう。
顕著なのはネットでのヘイトや炎上、海外で言えばトランプの差別的な言動などだ。これらのある特定の集団や属性を持つ者への攻撃性は、そのまま喰種に対する歪んだ認識として本作の中では描かれている。

このように『東京喰種』に含まれる「問い」は、読者に対してそれまでの認識やモノの見方を今一度考えるチャンスを与えてくれるのだ。

良質な文学作品としての『東京喰種』

『東京喰種』が単なるダークファンタジーモノでないことがお分かりいただけただろうか。
もちろん魅力的なキャラクターやストーリーを追うだけでも十分楽しむことはできる。しかし、一度こういった文学的な側面にも目を向けていただければ、さらに深い『東京喰種』の世界の扉が開くはずだ。
そこには一般的なエンタメ作品では得られない「学び」や「気付き」があるかもしれない。文学には読者の成熟を促すような機能が備わっているのだ。

長々と文章を書いてきたが、要するに『東京喰種』を深く楽しんでいただきたいのである。この記事を読まれた方にとって『東京喰種」を読むことがより良い読書体験になれば幸いである。

この記事を書いた人

ただのエンタメ漫画にあらず!文学作品としての『東京喰種』のすゝめ(マンガライター)

市川剛史

ライター

三重県出身、京都府在住。
漫画家山田玲司の公式サイトを運営。文字起こし系記事やインタビュー、編集、広報などを担当。
大学時代は人文学を専攻。主にポップカルチャーなどを研究。漫画、小説、映画、アニメなどのコンテンツ分析も行う。
趣味で心理学や思想、社会学を勉強している。

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