これでスッキリ!高橋優の秋田弁ソングの魅力を秋田県人の目線から徹底解説

●秋田県人の私が高橋優の楽曲の背景にある秋田の慣習や地域性などを紐解きながら、秋田弁ソングの魅力を解説。
●『泣ぐ子はいねが』は、高齢化を憂う秋田の現状を表現したあとに「あした」と「あきた」を並び立てることで希望の歌へと昇華させている。
●『Harazie!!(ハラツエ!!)』は「お腹いっぱい」の意味。全編が秋田弁で構成され、田舎の日常を丁寧に切り取った故郷への思いやりにあふれた楽曲である。
●秋田弁ソング2曲を通して、故郷を大切に思う彼の熱い叫びを感じる。
●秋田弁の歌詞は、秋田県人のためではなく“彼の心を最も伝えられる言葉”として選択したに過ぎない。
●高橋優が秋田弁ソングに込めた想いに対する共感が広まれば幸いである。

私は5年を超える高橋優のファンです。彼の楽曲は、私の人生に大きな影響を与えてくれました。『パイオニア』『リーマンズロック』『プライド』など、彼の歌は私の心に直接響き、心を動かし、時に人生を強力に後押ししてくれました。また、彼が時代に求められるシンガーソングライターとなったことは、同じ秋田県人として誇りに思っています。

ただ一方で、秋田弁ソング『泣ぐ子はいねが』に対する解釈やイメージの共有が、Web上で見かけられないことを、以前から残念に思っていました。そのような折、2018年10月にニューアルバム『STARTING OVER』が発売となり、その中で秋田弁ソング第2弾となる『Harazie!!(ハラツエ!!)』が発表されたのです。“再出発”という意味を持つタイトルのアルバムで高橋優がチャレンジしたこの楽曲は、とても魅力的な内容でした。また、秋田弁ソングが2曲に増えたことで、彼がこれらの楽曲を通じて大切にしている想いも見えてきたように感じます。

この記事では、2曲となった秋田弁ソングについて、高橋優の地元に何度も足を運んだことのある秋田県人の私が、楽曲の背景にある秋田の文化などを説明しながら、高橋優がチャレンジした秋田弁ソングの魅力をお伝えしたいと思います。

『泣ぐ子はいねが』で自らの地元を描きつつ、全国の地域応援ソングとした

1)全国的に有名なナマハゲのセリフと秋田民謡を続けることで、曲の最初に勢いとリズム感を作り上げています。

2)「カブト虫は夜の電柱さいぐたがってるよ」から、2コーラス目では一気に彼の家族や実家周辺へと世界観をギュッと絞り込み、何の変哲もない田舎の日常生活に視点を向けています。

以下の写真は、ギュッと絞り込んだ世界観のひとつ。歌詞でいうと「蕗の薹(ふきのとう)は今年も咲くよ僕のふるさと」の部分です。高橋優の故郷は雪深い地域なので、ふきのとうが咲くのはまだ雪が残る時期です。雪国ではよくある光景ですが、彼はこのようなイメージを歌詞の中に綴っています。

Photo by photoAC

3)終盤では、高齢化で雰囲気の暗い秋田県に対して、ネガティブな秋田弁で改めてその状況を突きつけます。田舎の人たちが高齢化や人口減少による未来を憂いて、実際に日々口にしている言葉を入れているのです。

やざねぇがってたって日は過ぎる(残念がってたって日は過ぎる)
おっかねぇがってたって明日は来る(恐れていても明日は来る)

4)ネガティブな言葉は一瞬で終わり、その後に希望を意味する「あした」と「あきた」を並び立て、反動で一気に応援ソングへと昇華させています。『泣ぐ子はいねが』は、言葉自体は怠け者をこらしめる内容ですが、ナマハゲには無病息災、開運招福の効果があるといわれ、この楽曲はそういった部分も意識した作りとなっています。

さらに、彼が高齢化を歌に入れた背景についても言及すると、横手市山内は元々山内村といって、奥羽山脈の麓にある秋田の中でもかなり田舎の地域です。1997年に近くに高速道路が通るまでは、アクセスも悪く、秋田県内の他の地域の人もなかなか訪れない場所でした。そのため、人口減少が他の地域よりも早く進んでいます。彼はそのような所で生まれ育ってきたので、少子高齢化への意識が強いように思います。

『Harazie!!(ハラツエ!!)』で故郷の日常をより繊細に描き、愛情を表現した

「ハラツエ」とは、「腹つえ~」=「お腹いっぱい」という意味です。終始秋田弁のみで書かれたこの曲は、歌詞カードに高橋優本人の標準語訳がついています。秋田弁の使い方として目を見張る部分もあり、彼にとって非常にチャレンジングな1曲となっています。

標準語訳で満腹な状況を歌っていることはわかると思いますが、それだけだとこの歌の魅力が半減してしまうので、背景にある秋田の慣習について説明しましょう。

秋田では、訪問客に対するおもてなしとして“たらふく飲み食いさせて帰さないと失礼”という慣習があります。昔は交通の便も悪く、特に内陸部(奥羽山脈側)の人々は親戚の家に行くにも徒歩で峠を越えて行かなければならず、かなり難儀なものでした。そのため、わざわざ家を訪ねてくれた人に対して、お腹いっぱいにして帰さないと申し訳ないと考えられていたのです。今でも高齢者の方々の間には、まだこのような意識が強く残っています。

このような慣習から、この歌は、おじいちゃんとおばあちゃんが孫である高橋優に「少しでも多くおいしいものを食べさせてやりたい」という、思いやりの気持ちがあふれているといえます。また「ちょろぎ」という言葉が出てきますが、これは秋田名産の小さな漬物のことです。おばあちゃんが孫を思いやる気持ちに対し、その気持ちを完全に拒否して食べるのを断るのではなく「まだちょろぎぐらいなら食べられるよ」という孫としての優しい気遣いを表しています。

Photo by photoAC
左側の赤いものがちょろぎ。カリッとした食感の漬物です。

ちなみに、本当に何も食べられないほど満腹になってようやく帰ろうと玄関に立っても「家に帰ってから食べれ」と言って、料理をいっぱいに詰め込んだ袋を持たせてくれることもあります。そうして、秋田の田舎のおもてなしがようやく終わるのです。

『泣ぐ子はいねが』は実家から数km圏内を描いた歌詞でしたが、『Harazie!!』では祖父母の家へと世界観がさらに絞り込まれました。この楽曲で、高橋優の故郷へ対する細やかな想いや大事にしている日常が、より具体的になった印象を受けます。

誰もが持つ故郷に対する、優しくて強い応援ソング

秋田弁ソング2曲を通して見えたものは、故郷の何の変哲もない日常を心から大切に思っている、優しくて強い高橋優でした。しかし、これは誰しもが持っている価値観ですよね。

高橋優の曲には、自分の故郷を具体的に描きながら、聞く人それぞれの故郷を大切に思ってほしいという想いや、苦境に負けるなという想いが込められているように思います。2曲を通して見てみると「自分の家族や故郷はこんな状況で、こんな慣習があって俺はとても大切に思っているけど、みんなにもそれぞれに故郷があるよね?大切にしているかい?みんな高齢化で大変だけど負けずに一緒に頑張ろうぜ」といったところではないでしょうか。

彼が秋田弁を取り入れたのは、秋田県人のためとかではなく、想いを強く主張するために彼自身の中で最も心を伝えられる言葉だったからだと思います。過去のライブでは『泣ぐ子はいねが』のときに「秋田弁なんてわからなくていいから一緒に叫ぼうぜ」と高橋優本人が言ったこともありました。この場面からも、彼の強い想いが伝わってきます。

高橋優が秋田弁ソングに込めた想いと、世界観を感じていただけたでしょうか。秋田弁ソングはわかりにくいとうイメージがあったかもしれませんが、本記事を通して彼の楽曲への想いに対する共感が広まれば、ファンのひとりとして無上の喜びです。

この記事を書いた人

これでスッキリ!高橋優の秋田弁ソングの魅力を秋田県人の目線から徹底解説

前田シン

ライター

この10年、高橋優、ウルフルズ、クレイジーキャッツをヘビロテしてます。好きな作家は夏目漱石です。普段は、金融系の記事を中心に執筆しています。自身の経験から、双極性障害(躁うつ病)について書くこともあります。プロフィール画像のとおり元野球小僧です。

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