『アンドロメダ…』は70年代傑作SF映画のひとつだ。
当作品の魅力は、科学者が「地道な研究」を積み上げることで謎を解明していく……というプロットにある。派手な内容はないが、丁寧な研究描写から生まれる「ドキュメンタリーっぽさ」がこの映画の見どころだ。
おそらくSFファンは訝しむことだろう。”こんな超メジャー作品をなぜ今更取り上げるのだろう?”と。
だが残念ながら、『マトリックス』や『インターステラー』といったSF大作映画に比べると、この傑作の認知度は一般的にはそう高くない。だから本記事の執筆によって、この映画の魅力をできる限り多くの人に知ってもらいたい!そう思って筆をとった次第である。
「SFモキュメンタリー」としての魅力
『アンドロメダ…』はある町で発生したエピデミックの原因、病原体「アンドロメダ・ストレイン」への対処法を科学者たちが探っていく……という筋書きの映画だ。
映画冒頭部には、以下のサブタイトルが表示される。
これはアメリカ最大の科学的危機の記録である。スクープ計画及びワイルドファイア研究所関係者。彼らの協力で正確かつ詳細な描写が可能に。これらの記録の公表による国家安全保障への危険はない。
(『アンドロメダ…』DVD日本語字幕より)
この時点で映画の方向性がお察しいただけるだろう。
そう、この類のメッセージは『ブレアウィッチプロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』などといった、モキュメンタリー映画の常套句だ。『アンドロメダ…』は、「SFモキュメンタリー」としての体を成している。
あらかじめ断っておこう。『アンドロメダ…』は「地道な研究」を丹念に積み上げていく研究者らの姿が描かれているだけの、有り体に言えば「地味(!)」な映画だ。
だが同時に、リアリティたっぷりに描かれた、科学者たちの「地味で地道な研究」こそがこの映画最大の見どころだ。『アンドロメダ…』における「地味さ」は「ドキュメンタリーっぽさ」という魅力として見事に昇華されている。
いわば「SFモキュメンタリー」としての完成度の高さこそが、『アンドロメダ…』の魅力なのである!
『アンドロメダ…』のあらすじ
まずは『アンドロメダ…』の概要を簡単にご紹介しよう。
『アンドロメダ…』は1971年に公開されたアメリカのSF映画である。監督は『地球の静止する日』を手掛けたR.ワイズ。原作は『アンドロメダ病原体』。『ジュラシック・パーク』などの傑作を世に送り出した大ベストセラー作家、M.クラントンが1969年に発表したSF小説だ。
以下に、筆者なりにまとめた映画のあらすじを記載しよう。
事件の発生したのはニューメキシコ州のピードモンドという小さな町。この町で、62歳の老人と生後6か月の幼児を除き、ほぼすべての住民が死亡するという事件が発生。奇妙なことに彼らは血液が凝固し粉末状になるという不可解な死を遂げていた。
軍は、町の近くに墜落した人工衛星「スクープ7号」が、宇宙から病原体を持ち込んでしまったことが原因だと推測。「ワイルドファイア作戦」を発令し、J.ストーン博士ほか微生物学者らから成る科学者チーム4名を招集する。チームは秘密研究施設「ワイルドファイア」の最下層で、病原体「アンドロメダ」の正体とその治療法を探っていく……。
「研究プロセス」を重視した描写の数々
さて、いよいよ映画の具体的な解説に入っていこう。映画中盤で、ストーン博士がチームメイトに作戦プロセスを語るシーンがある。
作業は3段階だ。第1に検出。生物の存在を確認する。第2に特定。その構造と生理を調べる。第3に制御だ。封じ込め壊滅させる。
(『アンドロメダ…』DVD日本語字幕より)
これに則り、作中で描写される「検出」、「特定」、「制御」の各局面にフォーカスし、それぞれ紹介していこう。
第1段階:検出
まずは「検出」。この段階では電子顕微鏡を用いた病原体の存在確認、そして感染経路の特定、生存者の血液検査が同時並行でおこなわれた。
しかしここが既に「地味」で「地道」な作業の始まりなのだ!
ストーン博士は慎重だ。「科学者の基本」に則り、低倍率画像から始め衛星をゆっくりゆっくりと走査し、モニターを通じて肉眼で衛星表面を細部までチェックしていく。
しかも最初は2台の顕微鏡を同時に使用し、2つのモニターで確認していたのだが「見落とす危険性がある」と主張し、遥かに時間が掛かる1台での走査を始める。
さらに、病原体は衛星内部に存在すると見当をつけ、外側よりも内側の走査を早急に始めるべきだと主張するレヴィット博士の「勘」に対してストーン博士は一喝する。
純粋に科学者の目で作業に当たれ。
(『アンドロメダ…』DVD日本語字幕より)
このストーン博士の姿勢こそ、『アンドロメダ…』が研究「プロセス」の描写を極めて重視していることをよく象徴している。
実際に衛星の内外どちらに「アンドロメダ」が存在しており、ストーン博士の判断が正しかったのか否か……こうした議論は結果論でしかない。ストーン博士は科学者の研究原則にあくまで忠実であろうとして行動した。この点がなにより大事なのだ。
第2段階:特定
次に「特定」。「アンドロメダ」の菌株を衛星から分離した後、培養し、その組成と構造を調べることが目的だ。この段階でも地道な作業工程は健在である。しかし、やや複雑な作業工程に入っていくため、シーン全体に漂うリアリティはむしろますます高まっていく。
まず彼らは、「微量化学実験室」で「アンドロメダ」の組成分析をおこなう。しかし映画的なわかりやすさを追求して、スイッチひとつで簡単に分析結果が出てくる……ということはない。大型の実験装置を前にして、レヴィット博士らがグローブボックスを使用しながらマニュアルでセッティングをおこなっているシーンが描かれている。
こうしたシーンも、映画の「わかりやすさ」とテンポを求めるならば不必要なものでしかない。しかし、あえて細部の描写を挿入することにより、画面全体から確かなリアリティが漂ってくるのである。
さて、組成分析後も「アンドロメダ」が持つ構造の全容を把握するため、細かい作業工程が続いていく。
「アンドロメダ」の菌株を衛星から分離し、培養する。電子顕微鏡を用いた真空条件下での観察のため、「アンドロメダ」を800オングストローム(10分の1ナノメートルの大きさ)という極薄の断片にスライスする。「アンドロメダ」の成長条件を調べるため、培養した「アンドロメダ」をそれぞれ異なる環境に置いて成長実験。そしてX線を使い、「アンドロメダ」の結晶構造を解析、成長モデルをコンピューターでシミュレートする……。
言うまでもなく、この分析1つ1つは物語上重要な役割を果たしている。だが、それにしたって複雑な過程を辿っていることには違いない。「特定」に至るまでのプロセスが5段階程度に分節化されているのだから。
繰り返しになってしまうが、こうした「プロセス」の描写を疎かにしない点こそが、『アンドロメダ…』の魅力なのである。
第3段階:制御
最後に「制御」の段階。「アンドロメダ」を封じ込める手段について検討する段階だ。だが残念ながらこのパートは本映画終盤の核心部分にかかわる内容が含まれている。そのためここで多くを語ることは控えたい。
この段階で主要な役割を果たすのは医師のホール博士である。ホール博士は「オッドマン仮説」に則って招集されたという設定のメンバーだ。そのため他のチームメイトとは少し異なる視点を持ち、検証過程でも独特の立ち振舞いをする。
ホール博士は既に、生存者の診察を通じて「アンドロメダ」感染経路の特定に貢献していた。しかしホール博士はこの「制御」の段階で最も重要な功績を残す。
彼は生存者の血液検査結果と証言を合わせて考察し、そこから浮かび上がってきたある疑問点に取り組み続けていたのだ。ホール博士は最終的にその疑問を解決することに成功する。しかしその回答はストーン博士らが遂行した「地道な研究から結論を導き出す」……というスタイルではなく、どちらかと言えば偶然の出来事と彼自身の「閃き」によって得られたものである。
あえて言えばこうした「閃き」や偶然性もまた、現実に科学者の知的活動を成り立たせるのに不可欠な一要素なのだ……ということになるだろうか?
「モキュメンタリー」の潜在力
最後に、『アンドロメダ…』の魅力を総括するために、類似したテイストの作品として『コンテイジョン』(2011)を取り上げたい。
『アンドロメダ…』が実験施設での研究活動をメインに描いていたのに対して、『コンテイジョン』はパンデミック発生後の社会的混乱を、市民やWHOで勤務する人々の視点から描写することに主眼を置く。
こうした差異がありながらも、両者は共通して「ドキュメンタリーっぽさ」を有する。両作品とも、スピード感のある展開や派手なアクションではなく、丹念に、徹底的にリアリティを追求したシミュレーションによって視聴者を魅了する。
もちろん『コンテイジョン』をSF作品にカテゴライズすることは難しい。にもかかわらずあえてここでこの作品を取り上げたのは、「モキュメンタリー」的作品が持つ面白さの普遍性を強調するためである。
「モキュメンタリー」はPOV形式のホラー映画に特有の表現方法と見做されることがしばしばある。しかしこれまで見てきたように、「モキュメンタリー」的表現方法の持つ潜在力はもっと大きいはずだ。徹底したリアリティの追求はそれだけで観客を魅了するのだ。
『アンドロメダ…』は現実における科学者像をリアルに描き出すことで、「モキュメンタリーの面白さ」を十二分に開放することに成功している。ゆえにこの映画は「傑作」なのである!