はじめて子どもが産まれたときは、それはもうバタバタとした毎日でした。子どもに異常がないか常に神経を尖らせ、寝不足が何年も続き、体力も気力も限界。ギリギリ生活できていたように記憶しています。
特に気を遣っていたのは、外で子どもが泣き出して迷惑にならないか、電車やショッピングモールなどで荷物やベビーカーが邪魔にならないかということ。すべての人がそうではなかったのですが、周囲の人たちから大変厳しい視線を浴びました。新幹線を利用したときはあからさまに舌打ちされましたし、「俺これだから子どもは苦手~」と子どもの前で堂々と言い放った大学生にも会いました。出産前には想像も及ばなかった、世間の厳しさがあったのです。
長年「育児は女の仕事」と考えられてきました。これでうまくいっていた時代もあったので、先述の人たちの態度も致し方ないのかもしれません。
しかし、歴史が長いと思われがちなこの価値観、調べてみたら、実はそんなに長い歴史はなかったのです! というのも江戸時代、男親の育児参加はごく当たり前のことでした。歴史上のさまざまな資料に記載があります。
格段に医療が進歩したにもかかわらず、なぜか妊娠・子育てがしにくい雰囲気のある、現代の日本。昔の資料を紐解いて江戸時代の育児の考え方をのぞいてみませんか?
江戸時代の子育て事情が見えてくる歴史資料
林子平『父兄訓』
林子平(1738年 – 1793年)は、江戸時代後期に活動した経世論家で、寛政の三奇人(優れた人)に数えられている人です。著作のひとつに、『父兄訓』があります。これは江戸時代の育児書ともいうべき書物であり、以下のように書かれています。
・13、14歳にもなれば、徐々に悪行も覚えて増長していくため、親は安心できなくなる(=反抗期)
・自分の子どもを他の子どもと比べて叱るのは無理がある
・子どもを育てるなら親が自ら修行すべき
※現代文にアレンジしています
現代に通じる教訓が記載されていますね。今も昔も、基本的な認識は変わらないようです。
大原幽学「子供仕込み心得の掟」20か条
大原 幽学(1797年 – 1858年)は、江戸時代後期の農政学者、農民指導者。元服や祝言といった人生の節目における心得を残している人で、子育てに関しても「子供仕込み心得の掟」という心得があります。
ここには子どもへの躾の20か条が書かれており、結びに「ただ情の深いのが極上である」とあります。食べるものにも困ることすらある時代に、こういう記述があるのが興味深いところです。
外国人から見た当時の日本の子育て事情
外国人から見ても、昔の日本の子育ては情にあふれたものだったようです。
「子どもの楽園」
(オールコックの見聞)
われわれの間では普通鞭を打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責(けんせき・戒めること)するだけである
『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス
特にルイス・フロイスは、日本では体罰が習慣化されていないと述べています。叩いて躾けられた人からすれば驚きでないでしょうか。
(厳密に言うとルイス・フロイスは江戸時代より前の人です)
江戸時代の育児事情の背景とは?
なぜ江戸時代にこのような価値観が生まれたのでしょうか。理由のひとつに、子どもの死亡率の高さがあります。江戸時代では当然のことながら、現代ほど医学も統計学も発達しておらず、乳幼児の死亡率は非常に高かったと見なされています。
子どもを失うこと自体とても悲しいことですが、困るのは、跡継ぎがいなくなればお家断絶となること。武家のお家断絶となれば、家族のみならず家臣やその家族まで路頭に迷うことになります。跡継ぎが成長したとしても、悪い行いをして跡継ぎに不相応と見なされれば、これまたお家断絶となります。子どもを大切に、しかし躾はしっかりすることが”跡継ぎ”という面でも必要だったのです。
さらには女性の死亡率も高く、子育てするには単純に人手が足りませんでした。こうなれば男親の育児参加は当然。江戸時代の男性たちはこれらの事情を柔軟に受け止め、適応していたのでしょう。
そして江戸時代には「名づけ親」「烏帽子親」など、人生の節目での親がたくさんいました。社会で子どもを見守る仕組みができていたのですね。
「子育ては女がするもの」が常識となったのはいつなのか
現代で根強くはびこる「子育ては女がするもの」という考え方が常識となったのは近年です。明治時代には、社会のさまざまな分野で価値観が変化する中で、女性の生き方として「良妻賢母」が提唱されるようになりました。大正時代には「赤ん坊展覧会」(子育てコンクール)が行われ、『我が子の教育』(鳩山春子著)がベストセラーになり、母親の教育熱が高まっていきます。「母性」「母性愛」という言葉・概念が登場したのも大正時代です。
第二次世界大戦を経て、戦後はベビーブームに。1960年代にはかの有名な「3歳児神話」が広がります。3歳児神話とは「子供が3歳になるまでは母親が子育てに専念すべきであり、そうしないと成長に悪影響を及ぼす」という説。しかし実はこれは海外での研究理論が偏った形で紹介されたもので、今でも誤解している人は少なくないようです。
「子育ては女がするもの」という価値観は、怒涛の時代に沿って徐々に出来上がったようです。常識と思われがちですが、実は歴史は浅いのですね。
現代の日本では「子育てしにくさ」がある
翻って、現代の日本はどうでしょうか。人の考え方も社会の仕組みもどこか歪であるような……。医療の進歩により、妊産婦死亡率が減り子どもが無事成長できて、命に危険が及ぶことは少なくなりました。高品質なミルクやベビーカーなど育児グッズも多彩で、便利になりました。
しかし、「妊婦は病気ではないから甘えるな」「ベビーカーは邪魔」という考えや、「頼れる人がおらず引きこもり、孤立した子育てになる」など、おかしな風潮が出てきています。インターネットでニュースやSNSで情報がすぐに拡散する時代ということもあり、「子育てしにくい」雰囲気が漂っているかのようです。
「子育てしにくい」雰囲気はデータにも表れていて、生涯未婚率は男性で23.37%、女性で14.06%と、2015年国勢調査で過去最高を記録。2016年に誕生した赤ちゃんは初めて100万人を割っています(2016年推計)。
さらに都市部の女性の就労には、保育所や保育士が足りず子どもを預けられない「待機児童問題」がついてまわります。子どもができると働けなくなったり収入が減ったりして、最悪の場合生活できなくなるのですから、おのずと出生率も下がろうというものです。
固定観念にこだわる必要はない
現代の日本では、子育てをめぐる環境は劇的に良くなったはずなのに、子育てしにくい雰囲気があります。その奥に存在するのは、「子育ては女がするもの」「妊娠・出産は絶対的に安全なもの」という、歴史の浅い(あるいは誤った)固定観念です。
歴史の浅い固定観念を無理に大切にする必要はありません。人間の本質的なところは昔も今も変わらないはず。家族や周りの人、見知らぬ困った人たちに対し、自分がどう立ち回れば幸せになれるか、考えていきましょう。