【山梨】南北さえも逆!?すべてが富士山中心の街・富士吉田市を調査してみた

●山梨県富士吉田市は、富士山の北の麓にある、ちょっとエッジのきいた地方都市。
●富士吉田市には「南」「北」が存在しない。代わりに、富士山を基準にした「上」「下」が使われている。
●街並みも、富士山の斜面に合わせて碁盤の目状。誰もが歩きやすい街になっている。
●時報に天気予報、田植えの時期さえ富士山基準。富士吉田市は、日本一富士山ファーストな街だった。

富士山の北の麓にある、山梨県富士吉田市。この街、一見すると自然豊かな普通の地方都市ですが、じつはかなりエッジが効いているのです。その理由は、方角も街並みも、毎日の暮らしも、すべてが「富士山ファースト」だから。富士山が世界文化遺産となり、多くの観光客が訪れるようになっても、市民に根付いたその文化は少しも変わっていません。今回は、そんな富士の麓の不思議な街の実態を取材してみました。

「南」と「北」が存在しない!?富士山がコンパス代わり

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街を知るには、まず地理から!そう意気込んで地図を入手する観光客は、いきなり富士吉田市の洗礼を浴びることになります。なぜなら、南と北がまるっきり逆になっているからです。パンフレットも、チラシも、案内図も、南が上になっている地図ばかり。「これじゃ地図の意味がないじゃないか!」と怒りたくなる気持ちもわかりますが、残念ながら富士吉田には南と北の概念がないのです。申し訳ありません。

どっち側?富士山側!

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その代わりとして、富士山がある南側を「上」、北側を「下」と呼びならわしています。南北が逆の地図を平然と描ける理由はそこにありました。さきほどの地図の上のほうには、大きな富士山が描かれていますよね。街の中心は、あくまで富士山。「どっち側?」「富士山側に50m」などという会話もしょっちゅう聞かれます。この絶対的なランドマークがあれば、方位とか方角とか、小難しいことはこの街には要りません。

富士山に向かって「碁盤の目」!富士山ファーストな街並み

改めて富士吉田の市街地の地図をよーく眺めてみると、さらに不思議なことに気づきます。城下町でもないのに、道路が碁盤の目のように敷かれているのです。

「タテみち」と「ヨコみち」

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基準になっているのは、東西南北ではなく、やっぱり富士山!頂上からすそ野へと延びる富士山の傾斜に合わせて道路が敷かれているので、市民は富士山に向かって延びる道を「タテみち」、それに直角に交わる道を「ヨコみち」と呼んでいます。街を歩くとき、この「タテ」「ヨコ」の概念は欠かせません。

無数に存在する「◯◯通り」

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そして、もうひとつ大切にされているのが、無数にある通りの名前。「中央通り」など大通りだけでなく、「ミリオン通り」「新世界通り」「子の神通り」など、小さな路地にも名前がつけられています。先ほど例に挙げた「中央通り」は、富士急行線月江寺(げっこうじ)駅を起点にした「ヨコみち」。わずか2kmの区間にも関わらず、これに交わる主な「タテみち」は、西裏通り、本町通り、東裏通り、昭和通り、富士見通り、鐘山通りなど多数あります。
富士山を仰ぎながら「タテヨコ」と通りの名前を意識して歩けば、まず道に迷うことはありません。このように富士山ファーストな街並みは、誰にとっても歩きやすい街でもあったのです。

暮らしのまんなかに、いつも富士がある!

そして日常生活のいたるところにも、富士山が登場します。信号機やマンホール、ナンバープレートなどにも徹底して富士山が描かれ、毎日が富士山づくしなのは序の口で……。

市民の目覚まし『ふじの山』

一日のはじまりは富士山から。”頭を雲の上に出し~♪”の歌い出しでおなじみの唱歌『ふじの山』が大音量で毎日早朝7時から防災無線で流れ、市民はこれを聞いて目覚めます。市内を走る鉄道・富士急行でも到着・発車メロディーに採用されており、すっかり日常に溶け込んでいます。毎日聞きすぎて、このメロディーがあまり好きではないないという市民がいることは、ここだけの話にしておきます。

富士山は天然の気象台

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お天気でさえも、富士山が教えてくれます。富士山に「笠雲」や「吊るし雲」と呼ばれる雲がかかると、ほとんどの場合雨になるのです。それは、湿った空気が上空に迫っている証拠だから。天気予報をチェックするより、今日の富士山に向き合うことで暮らしに役立てるのが、古くから伝わる住民たちの知恵です。

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春の風物詩である「農鳥」も、暮らしの知恵のひとつ。気温が上がり、冬の間に富士山を覆っていた雪が徐々に融けると、中腹に鳥のような模様が浮き上がります。これが現れたら、農家のみなさんは田植えを始めるのです。

仕事より大事!?山開きと山じまい

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7月から8月にかけての富士登山シーズンも、この街にとっては重要な意味を持ちます。山開きは7月1日。富士吉田市民は必ずじゃがいもの入ったひじき煮を食べて山開きを祝います。昔の富士吉田は作物があまり育たない土地だったため、山海の幸をふんだんに使ったイモ入りひじき煮は、贅沢な食べ物。今なお、これを食べて山の安全を願っています。
そして8月26日の「吉田の火祭り」は、山じまいのお祭り。運営を担う上吉田地区の住民の多くが仕事を休み、短い富士山の夏を惜しみます。火祭りの翌日が市内小中学校の始業式と決まっているので、チビッ子たちにとっても夏休みの最後を飾る大切なお祭りになっています。

富士山愛にあふれた街・富士吉田

最後に、この富士山愛にあふれた街を象徴する歌を紹介します。誰もが歌える市民愛唱歌、その名も『ここにはいつも富士がある』。じつはこのメロディーも毎日正午に防災無線で流れるのですが、サビの部分の歌詞がかなり衝撃的です。

”美しいふるさと 私たちのまち 地球に空が あるように ここにはいつも 富士がある”

 

(引用:https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=2272)

この街にとって、富士山は地球や空という枠をも超えた、特別な存在なのです。日本一富士山ファーストな街・富士吉田にぜひ、足を運んでみてくださいね。

この記事を書いた人

【山梨】南北さえも逆!?すべてが富士山中心の街・富士吉田市を調査してみた

佐藤史親(さとう ふみちか)

ライター

山梨県出身。大学進学と共に上京し、卒業後はタウン紙記者・ スポーツ雑誌編集者として活動。 2015年に帰郷してフリーマガジン「シルベ!」を創刊。 編集長に。
フットワークの軽さを活かした取材記事を得意とし、 インタビュー・撮影・執筆までジャンルを問わず手掛ける。 得意分野はスポーツ・旅行・歴史など。趣味はマラソンと酒、 仏教遺跡めぐり。

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