私たちが何気なく歩いたり車を走らせたりしている「道」は、天災などの有事には「命をつなぐ場」となる。災害からの復旧というフェーズのスタートでは、緊急車輌や物資運搬車輌の通行が必須となるからだ。しかしながら、その道を誰が守っているのか、大規模震災などのとき何が行われているのかを知る人は少ない。
道には「道守(みちもり=建設業者)」がいる。その道守の存在と活動を、東日本大震災を例にとり、計5年間建設業界紙記者として地域の安全と建設業者との関係を見続けてきた筆者が、改めて当時のことを振り返りつつ解説したい。
「大地震です!安全なところへ避難を!」そのとき、何が起きた?
公共工事に関する取材のため役所から役所へと車を走らせていた筆者は、いつもどおりカーラジオを聞いていた。それは金曜日のこと。週末を意識させるポップな語り口のパーソナリティの(いい意味での)くだらないジョークに笑っていた。
山間部に差し掛かると、ラジオの電波は届かなくなった。いわゆる難視聴エリアだ。これもまた、いつもどおりのことだった。その後、カーラジオは再度電波をつかんだが、「大地震です!落ち着いてください!」というパーソナリティの悲痛な叫びに切り替わっていた。
電波が途切れたたった10分の間に何が起きたのか、筆者には理解ができなかった。
遠く離れた九州にいながらも、筆者はラジオを聞きながら過去に起きた阪神淡路大震災に思いを馳せた。倒壊した建物や高架構造物により道がふさがれ、一般市民のみならず緊急車輌さえ動けなかったという惨状を。
さあ、今回はどうなる。地震のみならず津波の問題もある。恐怖と共に、人の強さを信じたいという希望的観測、重い気持ちで次の取材先へ向かった。だが、その役所では門前払いを喰らった。遠く離れた九州にまで津波注意報(ところにより津波警報)が出されていたからだ。土木建築を司る部署の署員は、情報収集に当たっていた。
「3.11」後、最初に行われた「啓開(けいかい)」
災害時には自衛隊の活動に焦点が当たりがちだが、それ以前に啓開が行われる。啓開とは、読んで字のごとし、「ひらく」こと。特に国道や県道など、インフラの背骨となる大きな道からがれきを取り除き、通れるようにする作業を指す。
3.11の際、地震で倒壊した家や、津波によって流れ着いたもので道は全滅した。しかしながらこれらの大きな道が開かれない限り、怪我人を運ぶことはおろか、必要な援助物資さえ届かない。
地元の建設業者は一致団結してまず道を開く。自ら被災者でありながら、公のために汗を流す。その思いは「地域住民のために」。
「くしの歯作戦」始動!震災から4日で主要道路が開通
国道4号は、東京都中央区から青森県青森市をつなぐ延長854.9キロメートル、日本最長の国道だ。まさしく東日本の各都市を結ぶ大動脈だ。まずこれを整え、後にこの国道4号から沿岸部へ伸びる“横軸”15本を啓開した。震災後たった4日のことだった。
日常的に道を守っているのは、国交省や地方自治体の仕事を請け負う資格を持った地元の建設業者のうち、入札で決められた業者である。大規模災害の際には自治体と協定を結んだ建設業協会各支部などの組織が当たることになっている。
この啓開作業により、なんとか生命の危機から逃れた市民のみならず、緊急車輌やDMAT、自衛隊、ボランティアなどが被災地に出入りできるようになった。命のためには、「まずは道ありき」、なのである。
くわしくは、『啓け!―被災地へ命の道をつなげ―』を参考にされたい。
公共工事は悪なのか?建設業は今後どうなる?安ければいいのか?
バブル崩壊からこちら、建設業はガラガラと音を立てるように傾いていった業界だ。「コンクリートから人へ」といったスローガンが掲げられた時期さえある。だが、インフラを支える業界であることは当時も今も変わりはない。
「3K」と揶揄され離職率が高くなった建設業界は、東日本大震災のみならず、その後も続いた災害時に機能しづらくなってはいないだろうか。また、建設業界が傾いた理由は「3K」、それだけだろうか。
「予定価格」と「落札率」のカラクリ
前年度の各種工事にかかった費用(各種資材や人件費)を分析し、それらのデータを参考にして発注予定の工事費用を計算したものを「予定価格」と呼ぶ。一方、この予定価格に対し落札された金額の割合を「落札率」と呼ぶ。
落札率についていえば、「90%以上は談合の疑いあり」とされるが、発注側と入札予定者の考える見積額は基本的に同じだ。これを単にパーセンテージにのみ着目し、談合の疑いあり、と切り捨ててしまうのはいかがなものか。
建設業者は「前年度情報を反映した予定価格が低い」「それでも工事を取りたいため無理をして安い金額で入札をする」「さらに翌年度の予定価格が低くなる」という負のスパイラル、ジレンマを抱えながら営業を続けたが、それももう限界である。
建設業者は年々下がっていく予定価格に耐えながら、なんとか事業を継続した。それでなくとも「3K」の業種であるから、働き盛りの世代は他の業界に職を求め離職していった。このようにして生じた人員不足の中で起こってしまったのが東日本大震災だ。
企業は、適切な利益を得てはじめて健全な経営ができる。「公共工事は安ければよい」とする風潮は、市民の生活に欠かせないインフラ維持にとって果たしてよいことなのだろうか。
もちろん、市民の血税が投入されるもの、無駄を省きたいのは事実ではあるが、単に落札率だけで判断しまうのはもってのほかだ。私たちの日々の安全を安く買い叩いているのと同じことと、あなたは感じないだろうか。
事情通の「担当者」不在
公共工事は基本的に入札で施工業者が決定されるのは既にご存じのとおりだ。だが、他に「随意契約」というものも存在する。随意契約(略して随契とも呼ぶ)は、比較的小額の工事のときに採用されるもので、複数の建設業者から見積書を取り、その中から担当者が契約先を決定する方式だ。
公共工事入札に関する不正が問題視されるまでは、役所にはいわゆる事情通担当者がいた。それぞれの会社の技術力や特徴を理解していて、「同じ金額ならこちらに仕事を出したほうがよい」と適切に判断ができた。しかし、後に公共工事の透明性が求められるようになり、随意契約においても“適材適所”の判断を許される役所担当者は激減したのだ。
筆者が記者であった頃には、まだまだ一定数の事情通は存在した。「いくら随契でも、人が減ってしまったからあの会社にはムリだなぁ……別の仕事にも入っているしなぁ……技術は認めているのに……」といった話も時折耳にした。
地域にとって必要な仕事を、どの会社に出すのが適しているのかの判断が下せなくなっているのが、現在の発注者の状況なのだ。
私たちの安全は、私たち市民の考え方で変わる
国土交通省、または県の発注する大型工事には、「イメージアップ経費」の計上が認められていることがあるのはご存じだろうか。これは文字通り当該工事のイメージを向上させるために認められている経費のことだ。
地元に必要なインフラ整備工事であるのに、地元住民に理解してもらう費用を税金から払っているというパラドックス。これは、得てして我々一般市民の理解のなさから来ているものではないだろうか。
ますます加速する少子高齢化により建設業従事者は減少するはずで、そんな中にあっても災害は起こる。インフラを支える彼らに今一番必要なのは、我々市民一人ひとりの理解なのだと筆者は考える。
2025年、東京オリンピックまでは日本経済も、建設業界従事者数も右肩上がり傾向が続くはずだ。しかし、その後急速にそれらがしぼんでしまったとき、我々の生活を下支えしてくれる建設業界がどうなるのか、いや、彼らをどうしたいのかは、社会全体のこととして考え続けなければならないことだと思うが、あなたはどう考えるだろうか。