きもの離れが進んで久しいと言われる昨今ですが、成人式や結婚式における晴れ着としてのみきものを着る人や、観光地でのレンタルきものを非日常的なコスチュームとして楽しむ人も多く見受けられます。その一方で、日常のワードローブのひとつとして自分できものを着るとなると、興味を持ちながらも「着付けが難しそう」と感じ、きものの世界に飛び込めない人もいることでしょう。
きものの美しい着姿の必須条件は、きもの自体の美しさや着付けの正しさではなく、美しい「身体」です。どんなに美しいきものをまとってシワひとつない着付けをしても、土台となる「身体」が美しくなければきものの美しさは半減してしまいます。ここでいう「身体」とは、足の長さやウエストの細さなどといった体型のことではなく、姿勢や所作による「佇まい」のことです。そしてその美しさは、誰でも訓練することで身につけられます。
当記事では、富裕層の外国人観光客を英語通訳案内士として日々きものでおもてなしをしている、茶道講師でもある筆者が、きものを美しくきこなすための「佇まい」について解説します。
洋服は体型の良し悪し、きものは佇まいの良し悪し
型に合わせて生地を裁断して立体的に縫製される洋服は、サイズが決まっており、太れば着られなくなります。ウエスト・バスト・足のラインが見える洋服においては、その着姿の美しさは、着用者の体型の良し悪しに大きく左右されます。
その一方できものは、生地を直線裁ちして直線縫いし、ボタンもジッパーもなくサイズが固定されません。太っても痩せても着付けによって調整できる、形があるようでないものです。きものにはノースリーブや膝丈などというものがなく、年間通して形状は変わりません。常に、袂が揺れる長い袖、足首までの長い裾、ウエストラインを覆い隠す幅広の帯があり、きものから唯一出ている部分は首と手先のみです。
つまり、足の長さや細さ、ウエストやバストのサイズなどといった「体型」は、着姿の美感に全く影響を与えません。きものにおいて美感を生み出すために大切なのは、唯一覆われていない首およびそこから続く肩のラインの美しさです。そしてそれを引き出すのは、姿勢および所作です。
なで肩は姿勢でつくる
「怒り肩だから」「肩周りがごついから」という理由できものを敬遠する方もいることでしょう。歌舞伎女形役者は、なで肩を「つくって」男性の身体を女性らしく見せていることをご存知でしょうか。女性らしい、きものが似合う体つきは、姿勢でつくれます。
歌舞伎女形役者の着付けについて、文献では以下のように説明されています。
すべて女形を務めますには両の腎を後ろへ引て貝がら骨と貝がら骨を附けるやうにすると、衿がぬけて撫で肩になって見えます、そうして動作の中に成べく身体から腎を離さないのが本当です
(大丸弘「現代和服の変貌Ⅱ– 着装理念の構造と変容–」『国立民俗学博物館研究報告』10巻1号)
そして、日本舞踊の名取は以下のようにも解説しています。
なるべく左右の肩甲骨が背中で背骨にむかって近づくようにして、両肩を下げる
(鶴見和子『きもの自在』晶文社)
大正生まれの和裁士も以下のように述べています。
肩甲骨をできるだけ近寄せ、肩を下に落とすように気をつけることが女子の心掛けだった
(村林益子『美しいきもの姿のために』筑摩書房)
洋服は肩で着て、きものは腰で着る
バストやウエストなど、凹凸のしっかりした西洋人のために開発された洋服は、身体の凹凸を美しく見せることに重点が置かれています。「洋服は肩で着る」とも言われ、ジャケットなどは肩周りが複雑な立体的構造になっています。カットソーなどは水平にすっとした肩でないとすっきり見えないために、世には「肩パッド付きインナー」が出回るほど。鎖骨を押し上げるようにして重心を上に上げながら、すっきりとした水平な肩のラインをつくります。
一方きものでは、小さなバストもポッコリお腹もすべて覆ってしまうので、身体の凹凸を意識した構造にはなっていません。人間の身体重心は骨盤内に存在しており、また上下ひと続きのきものを唯一留めている腰紐も骨盤あたりであるため、自ずと重心は骨盤・丹田あたりになります。
また、きものは多くの布をまとうため、洋服よりはどうしても重いです。洋服と同じように肩で着ようとすると重心が上がってしまい、肩が凝って窮屈になってきます。楽に着るためにも、きものは重心を腰・丹田まで落とすことが大切です。
面倒くささゆえの美しさ
洋服とのきものの差は、以下のようにまとめることができます。
1) 生地を型に沿って裁断する洋服とは異なり、きものは直線の反物を、直線のまま直線に縫います。つまり、身体に合わせて裁断していないので、決まったサイズや型がなく、着ている人の姿勢によって着姿がいかようにも変わります。
2)肩から足首までひと続きの布をボタンやジッパーなどで固定しません。そのため姿勢の歪みや身体の捻れによって着崩れが起こります。
3) 長い裾が足首まで巻き付くために、歩幅が限られます。
4) ゆらゆらと揺れる優美な袂がある袖であるために、袂を汚さないように気遣う仕草が要求されます。
上記のように、きものは現代の洋服と比較すれば面倒くさい条件ばかりのように見えます。しかし一方で、その不便性を忍ぶために生まれる心遣いと、そこから生まれる美しさがあります。美しい姿勢を保つ努力、落ち着いた柔らかな歩き方、裾や袖を気遣うたわやかな余情感のある所作など……。そういった姿勢と所作の美しさこそが、体型や年齢に関係ない、エイジレスな洗練された美しさを生み出すのです。
美しい着姿のために、体幹を鍛えよう
先述のように、きものは身体の捻れや身体の軸のブレによって簡単に着崩れを起こします。それを防ぐためには、姿勢を真っ直ぐ保つインナーマッスルが必要です。
また、唯一きもので覆われていない首と、そこから続く肩のラインが、美しい着姿のためには重要です。首と肩の周りの美しい姿勢を作り、それを保つためにも、やはりインナーマッスルが不可欠です。
美しい所作の体得と、体幹のトレーニングが同時にできるもののひとつが、茶道です。筆者の茶道の生徒さんにはバレリーナの方がいます。彼女は普段から身体構造や筋肉構造を熱心に研究して、身体を最大限使ってバレエを踊っています。そんな彼女は筆者宅でお茶のお稽古をする際に「体幹が整っていないと、その美しい動きはできないですね」と言います。
静かなようでいて、実はすべての所作において体幹が整っていることを要求する茶道は、きものの着姿をさらに美しくしたい方の体幹トレーニングとしてもおすすめです。
目指すべきは余情感ある美しい佇まい
着付け教室では、着付けの技術およびきものの格やルールを教えることが優先されがちです。美しい姿勢や立ち居振る舞いについてのレッスンがきもの初心者のカリキュラムに含まれることは一般的ではありません。着こなせる身体があって初めて、着用者本人ときもの双方の美しさが最大限に引き出されます。ある程度ゆるやかに着ても、グサグサしていても、何故か素敵に見えるのは、その人の佇まいが美しいからです。
着付けの出来不出来を心配し過ぎるよりも、きものの不便性を忍ぶことから生まれる心遣い、そこから生まれる余情感ある美しい佇まいを大切に――。きものを楽しむ人が増えることを願っております。