お香と落語とアニメの意外な関係…業界人も知らない「香盤表」の真実(芸能ライター)

●「香盤」と「香盤表」は、古典芸能から最新アニメまで、エンタメ業界に受け継がれる言葉である。落語では序列をあらわし、舞台や映像では登場人物一覧表をそう呼ぶ。
●香盤表の由来は「香時計」だといえる。お香の燃える速度で時間を計る、明治時代まで使われていた道具だ。
●寺院で香を焚く道具だった「時香盤」と、遊女のタイムカード代わりだった「線香時計」。両方とも香時計の一種であり、香盤表とのつながりが考えられる。
●香盤表という言葉には、仏教・お香・芸能・色事から生まれた日本文化のエッセンスが隠されている。

“香盤表”という言葉を知っているという人は、映画やドラマや演劇の裏方経験がある人でしょう。「”香盤”なら知ってるよ」という人は寄席に通う落語通かもしれません。“香盤表”そして”香盤”は、古典芸能からアニメまで、日本のエンターテイメント界で連綿と受け継がれてきた言葉です。
それにしても、なぜ出番でも順番でもなく、香盤なのでしょう。芸能関係者でも答えられる人は少ない難題です。この難題のルーツをたどると、仏教伝来までさかのぼります。実に面白い言葉ですね。

芸能の裏方でがんばってる皆さん、芸能の裏側に興味がある皆さんであれば、香盤表の歴史を探ることで日本文化の深淵をのぞけるかもしれません。テレビアニメの制作現場で働き、香盤表を書いた経験を持つ私が、地味だが奥深い香盤表の世界をご案内します。

地味だけど重要!物語を生み出す現場に欠かせない香盤表とは

香盤表は、広く日本のエンターテイメント界の制作現場で活用されています。具体例を挙げると、映画・テレビドラマ・CM・アニメ・演劇・歌舞伎。「香盤」という言い方になりますが、落語。それに寄席や劇場でも。面白いのは、それぞれで「私たちの世界の専門用語」と認識されていることです。

(2003年上演版『レ・ミゼラブル』パンフレットより)

映像作品と舞台作品で使用するのは、紙の表である「香盤表」です。共通する点は、登場人物の出演場面が一目でわかること。実際に放送、上演する時間の流れに沿って書かれます。
映像作品の場合、作中の時間・服装・小物などの情報も盛り込まれます。アニメについては後述します。
落語では落語家の格付けをあらわす言葉になっています。基本的に位と入門順によって判定され、待遇の基準になります。
劇場においては、窓口などにある座席表を香盤と呼びます。歌舞伎が発祥でしょう。また、楽屋口にある着到板を香盤と呼ぶこともあります。着到板とは俳優の名前を書いた木札。裏返すことで出欠を知らせる、タイムカードのようなものです。
寄席や演芸場では、出演者一覧である番組表を香盤と呼ぶことがあります。

あまりに多種多様で混乱しそうなので、一旦整理しましょう。

・俳優の出演場面の一覧表
・場面ごとの時間・登場人物・小物の一覧表
・落語家の序列をあらわすもの
・座席表の別名
・着到板の別名
・番組表の別名

先に書いたとおり、私はテレビアニメの裏方として香盤表を作成していました。実感として、香盤表は全体を把握するのに便利なアイテムです。1話の情報が紙2~3枚に収まっているので、絵コンテや脚本をめくるより早く情報をサーチできます。

ちなみに、アニメには音響用の香盤表も存在します。実は私は見たことがありません。アニメは登場人物の「絵」と「声」を生み出す現場が分かれているため、二通り存在するのでしょう。

香道?仏教?それとも…諸説入り乱れる言葉の由来

では、なぜ黒子的存在に「香盤」などという風雅な文字があてられたのか――。興味を持った私が由来を調べはじめると、そこは様々な説が入り乱れる、一筋縄ではいかない世界が広がっていました。
それでも語源については、下記の3つの説に絞ることができました。ここからひとつずつ検証していきます。

【1】香道の道具
【2】時香盤
【3】線香時計

【1】香道の道具

香道は、伝統的な芸道のひとつです。一定の作法のもとで香りを鑑賞するものであり、この道具のなかに「本香盤」「試香盤」と呼ばれる長方形の台があります。この盤に升目があり、香盤表の罫線に似ていることから、これが由来だという考え方があります。しかし、この盤は必ず升目があるわけではなく、むしろ線のないデザインのほうが多いようです。
他にも「盤物」という道具もありますが、こちらと香盤表をつなげる説は見かけません。いずれにしてもこじつけの感じがあり、説得力に欠けます。

続く「時香盤」「線香時計」は、ともに「香時計」の仲間です。機械時計が普及する以前使われたもので、香は燃える速度が一定であることから時計として利用されました。

【2】時香盤

時香盤はこの他に「常香盤」「香盤時計」「香印盤」「香盤」などの呼び名があります。平安時代から使われていました。もとはお寺で長時間香を焚く道具でしたが、いつしか時計代わりとして利用されるようになったものです。東大寺のお水取り(修二会)でも時計として時香盤が使われています。
四角い木箱に灰を敷きつめ、その上に抹香で模様(=香印)を書きます。そして抹香の端に火をつけ、燃え進んだ長さによって時間の経過を見るのです。町や村に時刻を知らせた「時の鐘」を鳴らす際、目安にしたのも時香盤でした。 時間の流れを見ることは香盤表と共通していて、一定の説得力があります。

落語とのつながりは、どちらも仏教由来であることです。お坊さんの説法が落語の源流のひとつと言われており、香盤がその名残だった可能性はあります。「高座」「前座」も説法に由来する言葉ですし、手ぬぐいを「まんだら」と呼んだりもするそうです。

そして、座席表もこれで説明できます。時香盤のフタは格子状で、上から見ると芝居小屋の枡席によく似ているのです。

仏具としての香時計は今も販売されています。

【3】線香時計

江戸時代初期に普及した線香は、遊郭で時計代わりに使われるようになります。1本燃え尽きるのに約40分。これは客に請求する代金の基準にもなりました。
遊女はたくさんいますので、店は管理しやすいように線香を並べる台を作りました。木箱に線香を立てる穴を開け、下に遊女の名札をぶら下げたものです。これで遊女一人ひとりがどれほど働いたかが一目瞭然です。
形状は店によって様々で、両手で抱えられる小ぶりの台もあれば、箪笥のように大きな台もありました。国立科学博物館にも遊郭の「線香時計」が展示されており、こちらは小ぶりなタイプです。
そして、この線香時計は芸者の世界にも広がります。上方落語『たちぎれ線香』は、芸者と線香時計を題材とした演目です。今も花柳界では、お代を「線香代」と呼ぶことがあるそうです。

名札がずらりと並ぶ様は、着到板に似ているし、出番表や番組表にも似たものを感じます。時間の流れをあらわすところは香盤表に通じるでしょう。また、遊女の名札は序列順に並んでいたとする説があり、落語とつながる可能性があります。
ひとつ疑問が残るのは、「香盤」の文字が出てこないことです。線香時計を「線香盤」と呼ぶ説もありますが、そうした例は少なかったと考えられます。

3つの説を検証した結果

こうして3つの説を検証した結果、私が導き出した答えは「香盤表の由来は“香時計”である」です。つまり、時香盤と線香時計のどちらか決めきれない、玉虫色の結果になってしまいした。しかし、人びとから忘れられた香時計が、芸能の世界に形を変えて残ったことだけは確かであると言えるでしょう。

香りの流れ、時の流れ

香木は、仏教伝来の折、仏像や教典とともに日本に伝わってきたとされています。仏前を清めるために花を飾り、灯明を点し、香を焚く。その仏教儀礼の道具として香木はもたらされたのです。ここから枝分かれし生まれたものが香道であり、時香盤であり、線香でした。そういう意味では、すべて根っこは同じかもしれません。

仏教とともに日本で独自の進化を遂げたお香、江戸時代から続く落語、テレビで見るアニメ……これらが見えない糸でつながっている――。そう考えると、ちょっと不思議な気持ちになります。日本文化の豊かさを内包する香盤表は、今日もエンターテイメントの世界を静かに支えているのです。

この記事を書いた人

お香と落語とアニメの意外な関係…業界人も知らない「香盤表」の真実(芸能ライター)

桑畑絹子

ライター

岩手県出身/在住。アニメ制作会社勤務を経てシナリオライターになりました。近年はノベライズや児童書など書籍も執筆しています。
新しい可能性を求めてWEBライティングの世界に足を踏み入れたばかり。得意分野はエンタメ、サブカルチャー、歴史、民俗学。フィクションもノンフィクションも、書けるものはジャンル問わず書きます。
テレビとラジオとミュージカルが好き。教科書には載らない“芸能人の歴史”を調べることをライフワークにしています。

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