京都花街・舞妓の世界 ~「一見さんお断り」に見るおもてなしの心意気~(京都ライター)

●花街の原点は休憩のための「水茶屋」。
●舞妓さんは、芸妓さんになるための見習い期間。
●芸をきわめることこそ、芸妓さんが歩む道。
●「一見さんお断り」は、お客を心地よくおもてなしするため。

「京都」は世界でも人気の観光スポットです。数多くの歴史的な神社・仏閣が楽しめるだけではなく、八つ橋や漬物などのグルメが堪能できるため、多くの観光客が後を絶えません。また、美しい着物を着た芸舞妓さんに出会えることでも有名です。
そんな京都に私が初めて訪れたのは、修学旅行のときのことでした。以来もれなくファンとなり、名所巡りを楽しんでいます。もちろん、はんなりとしたした芸舞妓さんも長年の憧れの的です。芸舞妓さんについてはメディアでも多く取り上げられているので、私のように憧れを抱く人は多いことでしょう。しかしながら、華やかな面ばかりが目立ち、奥深い花街の魅力の姿を映し出しているものそう多くありません。そこで当記事では、知られざる「芸舞妓さん」の世界について詳しくご紹介します。

芸舞妓さんが賑わう京都・五花街の歴史

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現在の京都には、6ケ所に花街(はなまち/かがい)があります。

・上七軒(かみしちけん)
・祇園甲部(ぎおんこうぶ)
・祇園東(ぎおんひがし)
・先斗町(ぽんとちょう)
・宮川町(みやがわちょう)
・島原(しまばら)

その中でも、特に賑わいを魅せる島原以外の花街を、総称して「五花街(ごかがい)」と呼びます。
各花街の起源はそれぞれ異なりますが、芸舞妓さんの髪型や服装、所作に大きな違いはありません。また、地元京都の人やなじみ客は、それぞれの花街に対して微妙に違うイメージを持っているようです。芸舞妓さんたちは、花街にある「お茶屋」のお座敷で芸を披露し、お客をもてなします。

上七軒(かみしちけん)

京都で最も歴史がある花街です。室町時代に現在の北野天満宮の一部が焼失し、その修復のために使った木材の残りでお茶屋を建てたのが起源だとされています。1587年に豊臣秀吉が北野で大茶会を開催した際には、休憩所として使われたことでも有名です。

祇園甲部(ぎおんこうぶ)・祇園東(ぎおんひがし)

八坂神社に参拝する人々にお茶を出した水茶屋が起源です。1800年代の最盛期には、お茶屋が700軒、芸舞妓さんは3,000人を越えていたといいます。1881年に第三代京都府知事北垣国道により、祇園町は甲部と現在の祇園東である乙部に分けられました。

先斗町(ぽんとちょう)

1600年代に造られた、高瀬川と鴨川の間の三条から四条までの通りにあります。当時は水運が盛んで、旅人や商人が集まったといいます。また「ぽんと」はポルトガル語の「ポント=先端」、「ポントス=橋」が由来だとの説があります。

宮川町(みやがわちょう)

鴨川の東側、四条通の南側から五条通りにあります。出雲阿国が踊った阿国歌舞伎が見世物として流行った歴史があり、江戸時代初期には芝居小屋が並んだといいます。芝居を見に来た客のための茶屋でお酒を提供するようになり、栄えていきました。

舞妓さんから芸妓さんになるまでの道筋

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京都といえば「舞妓さん」をイメージしがちですが、実は舞妓さんは芸妓さんになるまでの修業期間なのです。よって、舞妓さんの間は芸妓さんになる前の「年季奉公=見習い期間」であるため社会人としてはみなされません。生活費も芸を磨くための稽古費用も、衣装代もすべて置屋が面倒を見てくれます。

舞妓さんになってから4~5年が経ち20歳前後になると、芸妓さんになるかどうかの判断をする時期に差しかかります。進路はさまざまで、舞妓さんを辞めて大学進学を目指す人も、結婚という道を選ぶ人もいます。

「仕込みさん」「見習いさん」を経て舞妓さんデビュー

舞妓さんになれるのは、義務教育を終えた15歳から20歳ぐらいまでの女性です。出身地や身長・体重などの条件は特になく、本人のやる気と保護者の了承、引き取ってくれる置屋があれば舞妓さんへの道が開けます。

最近は、インターネットを通じて面接を受ける女性が全国から京都の花街に集まります。まずは置屋のお母さんが、メールでのやりとりを通じて芸舞妓としての適正を判断。さらに置屋で実際に1週間ほど体験生活をして合格できると、舞妓さんデビューするための「仕込みさん」としての住み込み修業がスタートします。

仕込みさんの間は、舞妓さんの基本技能である日本舞踊や花街の習慣、京ことばを学びます。1年ほどの修業期間を経て舞妓デビューの日が決まると、1ヶ月ほど「見習いさん」となり、デビュー日に備えます。

専門性を高めつつ芸に磨きをかける芸妓さん

芸妓になることを「衿替え」と呼びます。芸妓さんは、舞妓さんと違いかつらを使います。また舞妓さんの間は振り袖ですが、短い袂(たもと)の着物を使用し、足元は「おぼこ」と呼ばれる丈が高い履物から、ぞうりや下駄に変わります。

さらに「自前さん・芸妓さん」になると置屋での住み込み修業を終え、1人暮らしをして自分の花代(はなだい)で生計を立てます。お座敷でも芸の専門性が求められるため、三味線や長唄のどちらかを選んで芸事の技術を深めていきます。お茶屋や置屋を兼業しながら、花街の後継者の育成を担う芸妓さんも多いです。

自分の意思でいつでも辞められるのも特徴で、廃業後は置屋やお茶屋の経営をしたり、人脈を利用して飲食店を開業したりする人もいます。また、結婚と同時に廃業し、未婚になったときにまた花街に戻ってくるという人もいます。

花街の伝統的なお座敷ルールと料金体系

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「お座敷遊び」は、お茶屋にあるお座敷で芸舞妓さんとの宴を楽しむ遊びをさします。お客は料理やお酒を味わいながら、芸舞妓さんたちの日本舞踊や三味線・太鼓・笛などの芸を鑑賞したり、簡単なゲームや会話をしたりしながら過ごします。

最近では観光でもお座敷遊びが体験できますが、「一見さんお断り」がお茶屋の昔ながらのルールです。やや厳しいルールのように感じられますが、そこには花街ならではの理由があります。

「一見さんお断り」の理由

京都・花街では、なじみ客からの紹介がない初めてのお客はお茶屋を利用できないというルールがあります。一見すると経済的な合理性がないように感じられますが、いくつかの理由があります。

まず、なじみ客のお座敷での経費はすべてお茶屋が立て替え、1ヶ月~2ヶ月後の後日精算が基本です。経費には、お茶屋を通じての二次会や、移動で利用するタクシー代なども含みます。お財布なしで心地よく遊んでもらうための会計システムになっているのです。

さらに、お茶屋のお母さんがお客の好みや、接待、息抜きなどの利用目的に合わせて芸舞妓さんや料理の手配をします。つまり、情報がない初めてのお客には十分な「もてなし」ができないのです。

また、お客があがるお座敷はお茶屋の中にあるのも理由のひとつです。芸舞妓さんを含めお茶屋の経営者の多くが女性ですので、座敷遊びのルールを心得た客以外には遠慮してもらうというのがルールになっています。

お座敷の料金体系

お座敷の料金は、料理や飲み物とともに芸舞妓さんにかかる費用として「花代(はなだい)」がかかります。花代は、芸舞妓さんがお座敷で過ごす時間だけではなく、置屋を出て帰宅するまでの移動時間も換算されます。時計がない時代に線香を燃やして時を測っていたことが由来で、時間単位で1本、2本と数えるのが一般的です。

時間単価は、花街によって違います。さらに、芸舞妓さんへのご祝儀や、お座敷の条件、呼ぶ芸舞妓さんの人数によって料金が変わってきます。基本的には、お茶屋のお母さんに任せておけば、上手に手配してくれます。

観光で利用する場合は、料理が1人あたり昼食5,000~6,000円・夕食10,000~20,000円、花代が芸舞妓さん2時間・1名で30,000円ほどが目安です。多人数で遊びに行くと1人あたりの料金を抑えられるので、友人と訪れてみるのはいかがでしょうか。「一見さんお断り」ではないリーズナブルなプランを提供しているお茶屋をぜひ探してみてください。

京都・花街ぶらりのすすめ

歩いているだけで誰もが振り返ってしまう、はんなりとした雰囲気が漂う京都の芸舞妓さん。その美しさは「おもてなし」を最大限に追求するお茶屋のお母さんや置屋のお母さん含め、多くの女性の心意気から生みだされた努力の賜物です。芸舞妓さんの四季折々の着物やかんざしも注目ポイントであると言えるでしょう。

京都を訪れた際は、ぜひ花街にも立ち寄ってみてください。素敵な出会いがあるかもしれません。

この記事を書いた人

京都花街・舞妓の世界 ~「一見さんお断り」に見るおもてなしの心意気~(京都ライター)

花山みさき

ライター

神奈川県出身で現在は静岡県在住。好きな生物は猫。得意ジャンルは、映画、ドラマ、アート、文学、食レポ、メンタルヘルスなど多岐にわたる。

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