今や国内の市場規模が7兆円に迫る勢いの「通信販売(通販)」ですが、そもそも通販という販売手法は日本でどのようにして生まれ、広がっていったのでしょうか?その歴史を遡ってみると、当時の時代背景や消費者ニーズを読み取ることができます。国内初の通販商品として雑誌に登場した“トウモロコシの種”から始まり、戦争の影が濃かった時代には拳銃の販売も。その後テレビ通販が台頭するきかっけとなった“団地でのサンマ販売”など、通販にはさまざまな歴史的裏ばなしがあります。
当記事では、通販業界で長く取材や記事執筆を重ね、通販をこよなく愛する筆者が、インターネットで何でも買えるこの時代だからこそ皆さまに知っておいてもらいたい……と思ううんちくを紹介します!
明治時代に農学者が雑誌でトウモロコシの種を通販
米国で種苗通販を視察し日本への普及に注力
明治9年、元幕臣で農学者の津田仙が編集人を務める「農業雑誌」という雑誌カタログで、トウモロコシの種が通信販売形式で販売されました。日本の農家に米国の種苗を普及させることが目的で、これが日本最古の通販とされています。
ちなみに津田仙は、それ以前に渡米し隆盛期の種苗通販を現地でたっぷりと視察しており、その知識を日本国内でも活かそうとしたわけです。後に青山学院大学や同志社大学の設立発起人としても名を連ね、かなりハイカラな人物だったと想像できます。
西洋野菜や果物に商品幅が拡大し種苗通販が活発化
その後、津田仙はタマネギやキュウリといった西洋野菜の種をはじめ、外国種のリンゴや梨、クルミ、イチゴといった「果樹苗」にも商品を広げていきました。これら外来種苗の人気を聞きつけた種苗業者たちがこぞって通販に着手し、明治時代は種苗通販が花盛りとなります。私たちが毎日食べている西洋野菜や果物は通販がきっかけで広まったわけで、通販は食生活の文明開化にも一役買っていたのです。
米国では分厚い通販カタログが映画にも登場
「ビッグ・ブック」の登場、村の雑貨屋経由で注文
では日本の明治時代、種苗通販のお家元ともいえる米国での通販はどうだったのでしょうか?国土面積が膨大な米国では、当時は今にも増して買い物は大変でした。そう、日本以上に通販を必要とする理由があったといえます。
「ビッグ・ブック」と呼ばれる800ページもある分厚い通販カタログには、種苗をはじめ農機具、家庭雑貨、生活用品、食品、服、玩具などさまざまな商品が掲載されていました。村や小さな町の雑貨屋に置かれ、人々はこのなかから選んだ商品を店経由で注文し、鉄道や馬車で届くまで首を長くして待っていたわけです。
映画「シェーン」やドラマ「大草原の小さな家」にも登場
有名な西部劇「シェーン」では、登場人物たちが広野に立つ小さな雑貨屋に買い物に来るシーンに「ビッグ・ブック」が登場。開拓地の雑貨屋にはない商品を誌面から選んでいました。
また、筆者が大好きなドラマ「大草原の小さな家」でも、村に一軒しかない雑貨屋に「ビッグ・ブック」が置いてあり、主人公一家や村人たちが主に種や農機具を注文しているのが印象的でした。最新流行のドレスや高価な玩具も載っていますが、貧しい開拓者たちには夢また夢の商品だったのでしょう。
拳銃の通販もオーケーだった明治時代
舶来品を集めたカタログでは拳銃も販売
明治時代も後半になると、商品をある分野に絞って紹介する専門カタログも増えてきます。文明開化を意識して舶来色が強いことが特徴で、洋服生地や時計、文房具などの専門カタログが生まれました。
現代では考えられない商品として、直輸入ピストル銃の専門カタログも登場。ほかにもサーベルや軍用靴など、戦時色が濃かった時代背景がうかがわれます。西洋との貿易活性化に伴い、通販カタログは文明開化の普及媒体として、さまざまな商品を国内に広めていく役割を担いました。
大阪起点に大ヒットした「こけし人形」通販
戦後の職場で潤いを求める女性従業員に販売
敗戦後間もない殺伐とした社会背景のなか、大阪の小さな会社が工場などの職場を訪問し、女性従業員たちに「こけし人形」を販売しました。当時はまだ通販形式ではなく、サンプルを持参して注文をとってくる「職域販売」でしたが、あっと今いう間に在庫を売り尽くす結果に。4年足らずで会員数は10万人を突破したそうです。
焼け野原から立ち上がりつつあった時代、女性たちが美しいものや愛らしいものを求めていたことを鮮明に示してくれるエピソードといえそうです。
職域販売で伸びた成長期の女性向け通販
「こけし人形」通販は女性従業員が多い工場などの職場から始まりましたが、女性はもともとマメということもあってか、注文とりから集金まですべて職場内でこなしてくれました。販売する会社にとってはとてもありがたいことで、その後この「職域通販」手法が通販企業に定着し、1970年~80年代の業界発展に貢献したのです。
テレビ局が都内団地でサンマを販売
テレビショッピング盛況のきっかけとなった情報番組
テレビ通販は、1970年代初めにフジテレビが昼の生活情報番組の商品紹介コーナーで行ったのが最初とされています。主婦を対象とした情報番組のため、利益を目的としたものでなく、一般価格よりも安くて新鮮な生鮮食品などを提供することが目的でした。
その一環として、都内の団地でサンマを販売することを番組で呼びかけたところ、近隣の主婦たちが押し寄せて完売したそうです。もともとは視聴者サービスとして始めたものが、消費者ニーズにみごと合致したというわけですね。
“人を動かす”をコンセプトにテレビショッピングが定着
情報番組をきっかけに“テレビ番組を通じて人を動かすことができる”と分かり、フジテレビはテレビ通販に着手。局のスタジオに電話とオペレーターを配置して番組を放映したところ、商品が紹介されるやいなや用意した電話が一斉に鳴り出し、関係者一同嬉しい悲鳴をあげたそうです。
この“人を動かす”というコンセプトは、その後のテレビ通販業界が大きく発展するカギになったといえるでしょう。
ネット時代の今も生活に根付く通信販売
まだまだ存在感があるカタログ通販
明治時代に始まりその後長期間にわたって全盛を誇ったカタログ通販は、ネットの台頭により今や縮小傾向にあるのは否めません。とはいえ、商品単価や購入金額が高いカタログ通販は売り上げ占有率が大きく、誌面の刷新や発行部数の調整などを行いながら現在もメジャーな媒体として存在感を示しています。減少はしているものの、カウントできる範囲だけでも2015年度には約450万册のカタログが発行されています。
テレビ通販は24時間生放送の時代に
テレビ通販の進化もめざましく、昨今の大手企業は自社内に収録スタジオを設けています。そのうち数社は24時間生放送でテレビ通販番組を放映し、特別な記念日には一日に数億円以上を売り上げることも珍しくありません。
また放映中の番組をそのままリアルタイムにWEBでも放映し注文を受けるなど、複数メディアを活用した取り組みもメジャーになってきました。
常に歴史と共にあった通信販売
このように、通販という販売手法は、140年以上経った今も私たちの生活に根付き、暮らしに不可欠なサービスとして定着しています。成長めざましいネットをフックに、今後ますます広がっていくことでしょう。