恐怖がなぜ笑いに!?作家・飴村行が示した「ホラー=コメディ」という新機軸(エンタメライター)

●笑いとホラーは、ベクトルが正反対なだけで実は根幹が同じ。緊張状態から解放された緩和状態が笑い。緩和から徐々に緊張に持っていくのがホラー。
●ホラーコメディは、緊張状態をホラー要素にしたコメディ。純粋なホラーは緩和をあくまで小休止に使う
●飴村行の作品は小休止にさえ緩和を使わず、恐怖の緊張状態を連続させる。それが形「恐怖=笑い」を生んだ。
●天性のセンスとホラー好きが生んだ他に類を見ない作風を持つ飴村行とともに、ホラー界も盛り上がっていくだろう。

飽和状態のホラー界において、近年の一大ニュースとなった、“作家・飴村行(あめむらこう)のデビュー”。乱立する有象無象に食傷気味だったホラー好き達が度肝を抜かれた「粘膜人間」から数年。一人でも多く同志を増やすために、我々を惹きつけ続ける飴村作品の魅力を、今回は“笑い”という切り口から考察していく。

「いやいや、恐怖と笑いは真反対だろ。ホラーコメディなんてホラーじゃないぜ!」という本物志向の御仁もいるだろうが、それは全くの早計と言わざるを得ない。飴村作品はホラーコメディではなく、どこまでも純粋なホラーなのだから。

恐怖と笑いが「混在」するのではなく、恐怖と笑いが「イコール」になる全く新しい体験がそこには待っているのだ。知ってる人も知らない人も、ホラーの新たな世界を覗いていただければと思う。

※この記事はあくまで、ホラー好きに捧げるものである。「ホラーが得意じゃない」「ホラーはそんなに見ない」という方には、飴村作品を全く、これっぽっちも、オススメすることができないので、ご注意を。

ホラーと笑いの根幹は同じ?基準は「桂枝雀」にあり

さていきなりで申し訳ないが、まずはホラーと笑いの関係を明示したい。今日における大きな括りのホラー作品を定義したら、以下のような表現になる。

「消費者に対して恐怖を与えるもの」

本当に当たり障りのない表現だが、逆にこれ以外に言いようがないのがホラー。ホラー=恐怖。恐怖を感じているとき、安心しきっている人間は恐らくいない。何かに怯えている、常に緊張している状態が恐怖だ。つまり、ホラー=恐怖=緊張状態だと言えるだろう。

対して、笑いの定義は難しいが、落語家の桂枝雀が提唱した「緊張の緩和」という笑いの理論を引用したい。「人間は緊張状態から解放されたときに笑う」というもので、松本人志や千原ジュニアなどが影響を受けている。
真反対に思えるホラーと笑い双方に共通するワード「緊張」。ホラー作品では、同じ状況が続くと効果が薄くなり、飽きが来る。効果的な緊張を生むためには、断続的に緩ませて、新たな緊張を作ることが必要だ。いわば緊張の緩和は、ホラーの基本でもあるのだ。

ベクトルが真反対を向いているだけで、実際のところ笑いとホラーは、「緊張の緩和」という根幹を共有する不可分な位置にいるというのがお判りいただけたかと思う。

あくまでもホラー。ホラーコメディとの違いは「狙い」

では、ホラーコメディとは何なのか。例として映画『ビートルジュース』を見てみよう。

この記事を書いた人

恐怖がなぜ笑いに!?作家・飴村行が示した「ホラー=コメディ」という新機軸(エンタメライター)

坂根 迅(サカネ シュン)

ライター

広島県出身、東京在住。
某演劇学校を卒業、小さい劇団を旗揚げ。脚本と演出のかたわら、フリーのライターとして細々と活動。得意分野はそのまま小劇場、演劇、そして小説と映画。
好きなジャンルはホラー、コメディ、ミュージカル。サブカル系なら割となんでも。

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