連載を終えてもなお固定ファンが多い少年漫画『シャーマンキング』。何故人々は当作品に飽くことがないのか。私は、「当時少年少女だった読者の心の教本になっているからではないか」と考えている。なぜなら、今でも作中の思想に影響を受けているという意見を度々見かけるのだ。私もその一人であり、特に主人公・麻倉葉の考え方や行動は大人になった今も見習いたい点ばかりだ。
心のゆとりが見直される現代だからこそ、ユルい主人公・麻倉葉を通じて凝り固まった心をほぐしてみてほしい。
ユルい性格の持ち主「麻倉 葉」
まずは、麻倉葉を知らない方々に向けて彼の特徴を2つ紹介する。
【1】平穏で楽な生活をしたい、バトル漫画の主人公
【2】相手が誰であれ受け入れようとする
これは、禅と精通している思想や行動である。座禅(禅)はアジア圏外でも密かに注目され、日本では昨今、座禅を通した婚活も行われているのだとか。禅と婚活……よく考えると正しいというか、とてつもなく深いというか……。
ともかく!
「仏教徒だけど(または神徒だから)禅や仏教なんてよくわからん」という方、ご安心を。疑問や賛否の念は捨て、ゆるりと流れに身を任せて次にお進みください。
口癖は「なんとかなる」
葉には口癖がある。
”なんとかなる”
無責任に聞こえるのも無理はなく、初めは自身の不安を掻き消すために使っていた言葉だった。そのうち、現状では太刀打ちできない壁に直面するが、努力や工夫を凝らして前に進み、物語の終わりには最初の頃とは全く意味の違う「なんとかなる」を唱えるようになっているのだ。
「名は体を表す」という言葉をご存じだろうか。名前はそのものの本質を表す、または名前と本質は相応である、という考えで古くは平安時代に遡る。法相宗の書物、成唯識論(じょうゆいしきろん)に似た言葉が載っているとされ、約1000年にも及ぶ言い伝えだ。
途方もない年月が経った今も名前と本質の関係は変わらず、形から入った趣味が本格化して職業になるといった話や、看守と囚人の服を着た一般人が同じ空間で時を過ごすと衣装通りの働きをしだす、という話も「名は体を表す」に等しい。
このように、「なんとかなる」という響きは無責任であっても、なんとかなるようにしていくための言葉と意識して言い続ければ、次第に意味合いが変化していく。口癖に限らず、座右の銘でもいい。あえて脱力系の言葉を選びながらも成長を意識することで、少しの息抜きとけじめを同時につけられるようになるだろう。
夢は「ただのんびりと暮らしたい」
平穏な暮らしをしたい、というのはよほど刺激的な生活を望まない限り多くの人が考えるのではなかろうか。そのためには、思い立ったが吉日ですぐに浮世を離れるか、のちを見越して地道に下準備をする。いっそ何もしないという人も多いだろう。
葉の場合、将来みんなが穏やかに暮らすため戦いに身を投じることを選んだ。だが、もともとは戦うことが好きではないので、摩擦は極力減らそうとする。必要であれば敵対している相手とカフェでゆっくりと話すこともあった。
現実ではなかなか叶わないシチュエーションだが、相手を正面から見据えることで新たな発見ができる可能性は十分にある。あの人がこう言っていたからこの人はきっとああいう性格で裏ではこうで……と、他人の情報をもとにイメージを作り上げてしまう方は要注意。他人の価値観を鵜呑みにして人を拒絶することは無駄な軋轢を生む。その瞬間、平穏が一歩遠のく。
相手と真に向き合えるのは、相手が目の前に居るときだけなのだ。これがいわば、禅。「本物に触れなければ実態はわからない」に通じる。実態を知ったうえで相手を受け入れ、互いの距離感を調整できれば、平穏が一歩近づくはずだ。
余談だが、ブルース・リーの名言「Don’t think. Feel.」は禅の思想がもととなっている。私がごちゃごちゃ言うよりもこちらの方が感覚的にわかりやすいかもしれない。さすがブルース・リー!すごい!
信じる者が救われる「わけではない」
さて、ずっと宗教カラーの強い話をしてきたが、もうひとつ!仏教と禅の明らかな違いを紹介したい。
仏教は「信仰」であり、禅は「修行」ということだ。葉も修行のもと「心さえ折れなければ強くあれる」ということを学び、実践した。これがなかなか難しい。宗教のように崇拝するものや頼るものが明確であれば迷わず信心を貫ける。不利な状況があっても同じ信徒が手を伸ばしてくれるだろうし、好転すれば祈りが通じたと感謝する。死んだ後も安泰だろう。信者は宗教と共に生きる。
しかし、日本人の大半は仏教徒ながらにして無宗教と言われるほど日々何かに祈りを捧げることはあまりない。では、何と共に生きていくかというと、自分自身の信念である。普通に暮らせば必ず向き合う無理解な人々も、葉は受け入れながらも時に受け流すことで飲み込まれることなく前進する。その姿勢は、当時、迷い多き少年少女たちの胸を強く打ったことだろう。
ここでひとつお詫び申し上げたい。
葉自身、禅の思想を体現したようなキャラではあるが、この小見出しについては思想よりもそこから派生する行動や意識に焦点をあてさせていただいた。
なぜか。
禅は、捨てていく修行だからである。思想に焦点を当てるとゆとりではなく虚無になってしまうため、興味がわいた方は独自で調べていただくことをおすすめする。
……ちょっとしんみりしちゃったぞ!次がまとめだ!
余裕がない現代だからこそ大事にしたい「ゆとり」
現代は便利なものがあふれ、お金さえあれば何でも手に入るようになった。氾濫する情報を選別するために狭くなっていく視野。他者と比べる生活に追われ溜まっていくストレス。
そんなときには、
・「なんとかなる」と思ってみる
・「とりあえず」相手をよく見て受け入れてみる
・拒絶するより受け流す
という葉の生き方をちょっぴり拝借してみるのも手かもしれない。
脱力系の言葉を使い人々を受け入れる姿勢が多いことから「ユルイ」と言われる葉の生き方は、存外熱く強いものである。相手を大切にし、己を見失わぬようにふんばれば、遅かれ早かれ最後には「なんとかなる」と思える心のゆとりを持って生きていきたい。