ネット記事の見出しやSNSなどで、最近よく「エモい」という言葉を見かけるようになりました。「寂しい」や「懐かしい」といった、漠然とした感情表現として使われることが多いようです。『三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」』にて、「ゲスい」を3位に抑えて2位に選ばれたのも記憶に新しいところですね。
音楽が好きな人であれば、「エモい」は英語のemotionを形容詞にしたものであること、パンクの派生ジャンル・エモーショナルハードコアが語源であることをご存知でしょう。
「エモい」に関して調べてみると、音楽由来であることに言及しているものもありましたが、感情表現の形容詞として説明されているものが大半を占めていました。余談ですが、中には「コギャル用語」としているものもあったり……流石にそれは定義付けが大雑把過ぎますね。
今や、音楽や感情等を表現する手段として定番化しつつある「エモい」という表現。実は、起源をたどりやすい言葉なのです。当記事では、気がつけばエモ歴20年近くなっていた私の視点から、「エモい」の起源についてご紹介します。
すべては80年代末のハードコアパンクシーンから
1980年代中ごろ、アメリカのハードコアパンクシーンは白人至上主義であったり、ナヨナヨした奴はNG!といった風潮があったりで、差別と暴力で荒れに荒れていました。80年代初頭、健全なシーンにするべく活動していたバンドも相次いで解散したことにより、全土に渡って退廃ムードが漂っていたのです。
そこに「このままではいけない!僕たちのシーンを取り戻そう!」と立ち上がるバンドが、ワシントンD.C.に現れます。84年に結成されたRites of Springです。
どこにでもいそうなルックスの青少年達による、メロディックな泣きのリフ、ややセンチメンタルな歌詞など、それまでのマッチョでゴツいハードコアとは打って変わった革新的な楽曲で登場しました。以降、DAG NASTY、EMBRACE、そしてFUGAZIなど、後にレジェンドと呼ばれるバンドが次々と現れ、「レヴォリューション・サマー」というカウンターカルチャーにまで発展していきます。このレヴォリューション・サマーに携わっていた一連のバンドを、エモーショナルハードコアやエモコアと呼んだのが「エモい」の起源であり、最初は暴力や差別に反抗するための音楽だったのです。
その音楽性やプレイヤーのナードな外見から、当時「エモい」という言葉は彼らを馬鹿にする意味合いで使われていました。バンド側では”ポストハードコア”と位置付けていたこともあり、「エモい」と言われることを物凄く嫌がっていた点は現代と異なります。こうして「エモい」音楽を指すジャンル・エモが誕生したのですが、このジャンルは時代の流れと共に大きく変化していきます。
メインストリームへ、世界中がエモくなる
当初はポストハードコア的な面が強かったエモですが、90年代初頭ごろからインディーロックやポップパンク、メロコアと言った要素と融合しはじめます。普通のハイスクールから大学まで、アメフト部等のせいでモテない青少年達が、叶わぬ恋と遂に告白できなかったあの子を思って歌う――。キャッチーでありつつもエモーショナルに歌い上げる音楽へと変容していきます。
時を同じくして、世界的に大ブレイクし、グランジムーブメントを巻き起こしたNIRVANAがカート・コバーンの自殺により解散。ブームが下火になりつつある中、次世代のオルタナティヴなロックのひとつとしてエモが注目されはじめます。
90年代後半、The Get Up Kids、Sunny Day Real Estateなど数々のバンドがメジャーレーベルと契約、また、インターネットの普及に伴い世界中にエモが認知が広がります。そして、Jimmy Eat Worldの99年リリース『Clarity』と2001年の『Bleed American』がビルボードチャートの上位にランクインし、大きな転換点を迎えます。あのころの反骨精神とはかけ離れたまま、当時のエモ人気は不動のものとなったのです。
Jimmy Eat Worldは日本でもビールのCMに起用されていましたので、聴いたことがある人も多いかもしれません。
このころには既に日本でも音楽分野で「エモい」が使われていました。bloodthirsty butchersやEastern Youth、ASIAN KAN-FU GENERATION、THE BACK HORNなど……。マイナーコードで少し暗く時に激しいインディーズのロックバンドがそう評されていたことも。このようにして、世界とは少し違う流れで「エモい」という表現が日本に登場しはじめたのです。
派生ジャンル続出、そして言葉だけが残った
2000年代に入ると、エモムーブメントはさらに加速していきます。派生ジャンルも次々と現れました。「スクリーム(叫ぶ)+エモ」で「スクリーモ」、よりポップな方面へとシフトした「エモポップ」などへと枝分かれし、挙げたらキリがないほどバンドも増えていきました。
そして、90年代後半からヒットした数々のエモバンドが00年代中ごろに相次いで解散。残ったのは、ジャンルの細分化により原型を留めていない「エモ」と呼ばれる音楽や、「エモい」という言葉だけでした。
派生ジャンルのひとつ「スクリーモ」の代表格、SilversteinのMV。別れた彼女に対する、引くほどの未練タラタラぶりが「エモい」です。
現在、海外では相変わらず「hey emo!」というと、ちょっとナヨナヨしたナードボーイのことを見下して言う向きがあります。昔と変わったのは、ジャンルとして一応確立したことでしょうか。若いバンドの中には「レヴォリューション・サマー」の時代の音楽をやろう!と80年代末を、王道の90年代のエモをリバイバルさせて、それぞれプレイする人たちも出てきています。
まだまだ変化中?「エモい」の今後
言葉の方が色濃く残ってしまった日本の「エモい」。音楽分野で用いられても、本来のエモーショナルハードコアの面は鳴りを潜め、様々な情感を表現するときに用いられているようです。それ以上に、メディアやネット記事やSNSで、寂しいや懐かしいといった、何とも言えない漠然とした感情表現を省略するために用いられることが、ここ近年で多くなりました。
最近では「エモった」という言い回しまで出てきました。一体「エモい」は、この先どうなっていくのでしょう……。