アートで競う!?過去のオリンピックで実施されていた「芸術競技」 がもたらした功績

●芸術競技とは、芸術家が自身の作品を出品して評価を競い合うオリンピック正式種目。
●絵画、彫刻、音楽、建築、文学の5つの分野で審査され、それぞれのトップ3にメダルが授与された。
●ヒトラー政権下で開催された1936年ベルリンオリンピックは、芸術競技に熱心な大会であったが、審査の不公平性という問題点を浮き彫りにした。
●1952年ヘルシンキオリンピック以降、芸術競技は実施されていない。
●競技中止後もオリンピックでは開催に併せて展覧会などのアートイベントが実施されている。
●オリンピックは、文化や芸術とも関わりが深い祭典。オリンピックの楽しみ方は、スポーツ観戦だけではない!

「スポーツの祭典」と呼ばれているオリンピック競技大会(以下オリンピック)に、アスリートたちではなく、アーティストたちが戦う競技があったことをご存じだろうか。過去のオリンピックでは、芸術家同士が作品の評価を競い合う「芸術競技」という種目が実施されていた。

1912年ストックホルムオリンピックから始まったこの競技は、1948年ロンドンオリンピックを最後に、現在まで行われていない。しかし、芸術競技がもたらした功績は今も引き継がれている。

筆者は大学4年から修士2年まで、オリンピックにおけるアートイベントを研究していた。この記事で「スポーツの祭典」の意外な一面をのぞき見ることで、“オリンピックは決してスポーツのためだけではなく、文化や芸術とも関りが深い大会”ということを示したい。

芸術競技のルールと中止になった理由

芸術競技は、世界中から出品された作品を審査し、その評価を競い合うオリンピック正式種目だ。審査は絵画、彫刻、音楽、建築、文学の5つの分野に分けられ、それぞれの1位~3位にメダルが授与された。5つの分野は大会を重ねるごとに、さらに細かく分けられていった。例えば、絵画は絵画部門・素描部門・版画部門に分けられ、それぞれの部門でメダリストが決められたのだ。

この競技が実施された大会は、1912年ストックホルムオリンピックから1948年ロンドンオリンピックまでの計7大会。他の競技と比べて評価の基準が曖昧であることなどを理由に、競技の廃止が国際オリンピック委員会(以下IOC)で検討されたが、結論が出ないまま1952年ヘルシンキオリンピックで競技中止となった。その後、芸術競技は実施されていない。

芸術競技を提案した人物は“近代オリンピックの父”

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芸術競技の実施を提案した人物は、フランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン(1863年-1937年)。なんと、近代オリンピックの創設者だ。

19世紀、クーベルタンは古代ギリシアで行われていたオリンピアの祭典に魅せられ、その再興を目指した。クーベルタンの賛同者によって1894年にIOCが設立され、1896年に第一回大会となるアテネオリンピックが開催された。近代オリンピックの開催に尽力した功績から、クーベルタンは“近代オリンピックの父”とも呼ばれている。

オリンピアの祭典が行われていた古代ギリシアでは、力と美が同等に尊ばれ、競技場やそこに設置されている彫刻作品、さらには詩や音楽まで競技と同等に扱われていた。それゆえ、クーベルタンもオリンピックに芸術的要素を導入することを考えていたが、アテネオリンピックでは叶わず、その後の1900年パリオリンピックおよび1904年セントルイスオリンピックは、同時期に行われていた万国博覧会の付随大会として開催されてしまい、クーベルタンは自身の考えを実現する機会を得ることができなかった。

1906年、クーベルタンはIOC委員や芸術家たちを招集し「芸術と科学とスポーツのための協議会」を開催。「我々の目的はかつて別れた筋肉と精神を正当な結婚の結びつきによって再会させることである」と述べ、古代オリンピックと同じく近代オリンピックでもスポーツと芸術を同等に扱うことを主張した。そして、芸術に関する競技の新設を提案したのである。クーベルタンの提案が採用され、1912年ストックホルムオリンピックから芸術競技が始まった。

ベルリンオリンピックで明らかになった「競技の問題点」

1936年ベルリンオリンピックは、これまで楽譜の審査のみで終わっていた音楽分野において、初めてオリンピック期間中に入賞作品の演奏が行うなど、競技の実施に力を入れていた大会であったが、同時に競技の問題点が浮き彫りになった大会でもあった。

ナチス政権下のドイツでは芸術統制が行われ、写実的で古典的な芸術作品を賛美する一方で、ダダイズムや表現主義といった芸術作品は「退廃芸術」とされていた。その影響は芸術競技にも見られ、1936年ベルリンオリンピックにおける芸術競技の出場作品の一部を掲載したカタログ『Olympische Kunstausstellung Berlin 15.Juli-16.August1936』には、写実的な絵画作品や優美な裸体表現が特徴的な彫刻作品が多く掲載されている一方で、抽象的な表現をもった作品は非常に少ない。

また、芸術競技における出場国のメダル獲得数を比較すると、最多はドイツで11個、次いでイタリアが5個であり、自国や当時のドイツの友好国にメダリストが集中していた。競技結果と政治の関係について真偽は不明だが、1936年ベルリンオリンピックは芸術競技における審査の不明確さといった問題点が明らかになり、その後IOCが競技の廃止を検討するまでに至ったのだ。

芸術競技における日本の活躍

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日本は1932年ロサンゼルスオリンピックで芸術競技に初出場し、版画部門で長永治良が佳作を受賞。しかし、メダルを手にすることはできなかった。1936年ベルリンオリンピックでは、絵画部門で藤田隆治、素描部門で鈴木朱雀がそれぞれ銅メダルを獲得する。終戦直後に行われた1948年ロンドン大会では、第二次世界大戦における敗戦国の責任が問われ、日本はオリンピックに招待されず、出場することができなかった。

芸術競技中止後は展覧会などを開催

芸術競技以降も、オリンピックでは文化や芸術に関連したイベントが行われている。1952年ヘルシンキオリンピックでは、開催に併せて芸術作品の展覧会が行われた。芸術競技と同様にオリンピック参加国から作品を公募し、23カ国から集まった181作品が展示された。

その後、1954年にアテネで開かれたIOC会議によって、展覧会の内容は国際性よりも開催国の特徴を表すものにすべきであると決定し、オリンピック憲章1955年版より純粋芸術プログラム(Fine Arts Program)の項目が追加される。オリンピック開催国の組織委員会はIOCの承認の下、純粋芸術を取り上げた実演や展覧会を行い、またそれらはスポーツ競技と同等な高水準であり、かつ連携しなければならないと決められたのだ。

1964年東京オリンピックでも、開催期間に併せて、東京国立博物館などの都内の博物館や文化施設で展覧会や伝統芸能の公演が行われた。これらのイベントについて当時のIOC会長、アベリー・ブランデージは、「外来の客たちは、日本文化の神髄をじっくり味わう機会を与えられた」と、高く評価している。

継承されるオリンピックと芸術の関係

芸術競技から始まったオリンピックにおける芸術の要素は、現在「文化プログラム」として引き継がれ、展覧会に限らない多様なイベントが実施されている。

文化プログラムは、開催都市・国の文化を紹介するだけでなく、オリンピックの開催に向けて街の団結力を高めることを目的としたイベントだ。基本的に、前回大会の閉幕から当該大会の閉幕までの4年間行われる。オリンピックの開催を予定している日本においても、2016年リオデジャネイロオリンピックの閉幕直後から数々の文化プログラムが実施されている。

このように、アスリート以外の人々もオリンピックに関わる機会、スポーツ観戦以外の楽しみ方があるからこそ、オリンピックは国際的な祭典として発展してきたのではないだろうか。現在も東京2020の文化プログラムは続いている。気になる方はぜひチェックを!

この記事を書いた人

アートで競う!?過去のオリンピックで実施されていた「芸術競技」 がもたらした功績

おおたに とも子

ライター

神奈川県在住。大学では美術教育やアートマネジメントについて学び、オリンピックのアートイベントについて研究しました。得意分野はカルチャー系全般。実際に見て、調べて、自分の思いを考えながら書くことが好きです。

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