それは社会人3年目の春のこと。アパレルの仕事を辞め失業中だった私は、ひと月後に参加を控えた地元のビーチマラソン大会の事務局に「運営スタッフを募集していないか」と問い合わせた。きっとイベント前は忙しくて人手が必要だろうと考えたからだ。
思いつきでビーチマラソン大会にエントリーし、これまた思いつきで事務所に電話をかけたことがきっかけで、以後マラソンと深く関わり続ける人生が待ち受けていようとは!
問い合わせの結果、私は事務局のスタッフとして働くことになった。当事務局を管理するのは、なかなかマニアックなマラソン大会をいくつも開催しているランニングイベントの企画運営会社だ。ギリシャで開催される海外レースの日本支部もその会社が担っていた。同社代表である坂本雄次氏が、コメディアンである間寛平氏のサポートスタッフとしてギリシャの「スパルタスロン」というレースに参加したことが、会社設立のきっかけであったという。
そして2003年、私はこのスパルタスロンというレースの日本支部スタッフとして現地ギリシャへ赴いたのである。その後は同運営会社を退社したが、10年後に再び事務局スタッフとして当レースに携わった。私も坂本氏と同じく、自身とスパルタスロンは特別なご縁で結ばれているのではないかと感じている。
ウルトラマラソンという競技
「スパルタスロン」の話に入る前に。みなさんは「ウルトラマラソン」という言葉をご存じだろうか。100kmなど、フルマラソン以上の距離を走る競技のことを指す言葉である。人はランニングをはじめると、タイムを縮めたくなるか、山を走りたくなるか、泳いだり漕いだりもしたくなるか、もっと長い距離を走りたくなるようだ。
10年ほど前に起こったランニングブームがきっかけで、日本でのウルトラマラソン競技人口がぐっと増え、今は3万人程度と言われている。そのウルトラランナー憧れの大会のひとつにギリシャの「スパルタスロン」がある。246kmを36時間以内に走るという常人には信じられないような大会だが、実は日本からの参加者も多い。
Photo by Panegyrics of Granovetter
史実に基づいたレース
スパルタスロンは毎年9月に開催され、今年で35周年を迎える。その成り立ちを知れば、マラソン好きでなくとも心ときめくことだろう。紀元前490年の「マラトンの戦い」 の最中、アテネの将軍がスパルタ軍に応援を依頼するため派遣したメッセンジャーのフェイディピデスがアテネ・スパルタ間246kmを走破し、出発日の翌日に到着したという史実に基づいて再現されたレースなのだ。
歴史家ヘロドトスの記述を目にしたイギリス空軍のジョン・フォーデンが「実際36時間以内に走破することができるのだろうか」と思案し、1982年に同僚2人と共に走ってみた。結果、2人が36時間以内、1人が40時間未満でゴールしたことから、この記述が正しいことが証明された。そしてその翌年、第1回のスパルタスロンが開催されることになる。
フェイディピデスが使命を携えスパルタまで走ったのが9月だったことから、彼の足跡を辿るレースは毎年9月下旬に行われることになった。
Photo by Jan van de Erve
過酷すぎる36時間
ギリシャの9月下旬の日の出は遅い。参加者はまだ薄暗い朝7時にアテネの小高い丘、アクロポリスを出発。
14年前、筆者がスタート地点で度肝を抜かれたのは、野犬たちの存在。どこから集まってきたのか、選手がスタートした後を勢いよく付いていったのだ。それも数匹どころではなく、十数匹はいたと思う。これが毎年のことで、いつも5km地点くらいまでは一緒に走るそうだ。「犬に噛まれて狂犬病になったら大変だ」と取り締まるのが日本の感覚。ちょっと考えられないワイルドさだ。
コースの前半は、青さが目に眩しいエーゲ海沿い。その景色を楽しむのも束の間、気温は27℃ほどまで上がる。ギリシャの太陽には原始的ともいえるようなストレートさがあり、容赦なく選手たちをじりじりと照り付ける。乾いた土、朽ちかけた神殿のある景色がその日差しの強さを物語っているようだ。給水・給食・マッサージに立ち寄る選手たちの消耗が激しく、いってらっしゃいと送り出すのも気の毒に感じる。
暑さが緩んできて走りやすい時間帯になったかと思うと、夜は夜で5℃まで冷え込む。一面のぶどう畑にも、岩肌をよじのぼるような険しい山にも当然街灯はない。選手たちはヘッドライトなどの灯りを頼りに真っ暗な闇を進む。ときに雨や霧がたちこめる、山岳地帯は標高1100mにもなるそうだ。そしてまた夜が明け、明るくなって動きやすくなったかと思うと、再び厳しい暑さがやってくる。蜃気楼が立ち上る道を走る。
Photo by Jan van de Erve
いくら選りすぐりの屈強な選手たちと言えど、長時間走れば当然体のあちこちにダメージが積み重なっていく。筋肉の痛みなどの外科的な問題だけではない。走るためにはエネルギーが必要であり、食べ物を食べなければいけないのだが、胃が受け付けなくなるという内科的な苦しみに悩まされる選手も多い。筆者は、何度もゲーゲーしながらも優勝した女子の選手を目の当たりにし、「これで胃が強かったらどれだけのタイムを出したのだろうか」と驚嘆した。
選手たちは眠気とも闘う。制限時間に間に合わせるためには、また記録を出すためには、しっかり眠っている時間なんてない。あまりの眠さにふらふら蛇行しながら走ることも。ちなみに優勝者は23時間でゴールする。それもすごいが、36時間の制限時間いっぱい走り続ける人もすごい。
どんな人たちが参加するのか
こんな過酷なレースではあるが、日本からは60人が参加。もちろんトップクラスの選手たちだ。参加条件は18歳以上で、例えば100kmのレースなら男子は10時間、女子は10時間半で完走したことがある、といったもの。事務局には記録証を送って参加資格があることを示す。また246kmに耐えうる健康体ということを示す医師の診断書等が必要になる。
参加者のほとんどは若者だろうと想像するかもしれないが、ウルトラマラソンの主な層が30代、40代であることもあり、実は4分の1ほどが50代以上である。昨年は63歳の日本人女子選手が完走を果たしている。
選手たちがどんなキャラクターなのか想像できないかもしれない。やはり、こんなに長い距離を走るくらいだから、ストイックなのは確か。変わっているというのも否めないだろう。しかし、気さくで陽気、お酒も大好き、仲間と走るのを楽しむ社交的な人たちも多いようだ。
Photo by Jan van de Erve
スパルタスロンの魅力
この大会に参加することをライフワークとする選手もいる。参加資格は厳しく、簡単に参加することができない。レースの定員は399人で、6月7日現在で200人近くのキャンセル待ちが世界中にいる。
なぜこのレースがそこまで人々を惹きつけるのか。2500年も前のギリシャに命をかけて走った選手がいて、彼の使命を自身に重ねて走るというロマン。レースが過酷だからこそ参加したいという選手も多い。厳しい環境にも自分の弱さにも打ち勝ちたいという挑戦する気持ちだ。
その先には美しいゴールが待っている。スパルタの町民が歓声で出迎える中、国旗を背に、ゴールのレオニダス王像の足元にキスする人、抱きつく人。古代ギリシャのような白い衣装に身を包んだ少女たちから月桂冠をかぶされ、エキゾチックな文様のカップに入った聖水さながらの水でのどの渇きを癒す。
マラソンの世界にも、時空が歪んで古代と現代が入り混じったような光景があるのだ。