“治す”よりも“受け入れる”。治療を諦めた先に見出した「吃音症」との上手な向き合い方

●「吃音」は、言葉がスムーズに出てこない発話障害のひとつである。
●吃音の原因は、いまだはっきりとは解明されておらず、万人に有効な治療法も確立されていない
●吃音があることを隠している人も多く、症状の程度の軽重によって吃音者の不安や悩みを推し量ることは難しい。
●吃音を「治す」よりも「受け入れる」ことを提案したい。

どもってスムーズに話すことができないことを「吃音(きつおん)」といいます。「吃音」という言葉を知らなくても、「どもり」といえばイメージできる人も多いはず。例えば、あなたが小学生の頃「わ、わ、わ、わたしは……」と最初の音を繰り返して言う同級生が1人くらいはいたのではないでしょうか。

筆者である私も幼少期から吃音に苦しめられた1人ですが、最近は吃音を理由に悩むことは少なくなりました。とはいえ、吃音が治ったわけではなく、盛大にどもります。電話ではまともに話すことができませんし、どもりながら注文してファーストフード店の店員に変な目で見られることもしょっちゅうです。しかし、「どもってもいいや」と思うことで、私はだいぶ生きやすくなりました。

この記事では、吃音を「治すことを諦めた私」の、吃音との上手な向き合い方を紹介していきます。

吃音とは〜吃音の基本的知識〜

吃音と正しく向き合うためには、最低限の吃音の知識が必要であると私は考えています。
ここでは、簡単に吃音について説明します。

吃音は「発話障害のひとつ」であり「話し言葉が滑らかに出てこない」ことです。吃音の発症時期は、ほとんどが幼少期(2歳〜5歳)に集中しています。幼少期の子どもの20人に1人に吃症状が現れるますが、そのうちの8割は成長とともに吃症状が自然に消え、残りの2割はそのまま残ります。(『吃音 伝えられないもどかしさ』近藤雄生著より引用)

吃音の症状は、大きく3つに分けられます。

1. 連発(音の繰り返し)
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは……」
2.伸発(音の引き伸ばし)
「ぼーーくは……」
3.難発(言葉が詰まって出てこない)
「……ぼくは」

一般的には、1→2→3の順に症状が悪化していくといわれています。しかし、私の経験上「連発だけ」「難発しか出ない」ということは少なく、連発・伸発・難発の3つが複合して現れることがほとんどです。

吃音は当事者の人生にさまざまな影響を及ぼす

by pixabay

私の経験を基に、吃音が人生に与える影響を一部紹介させてください。

あいさつ

学生、社会人にかかわらず、あいさつは基本です。会社員時代に「幼稚園児でもできることだ」と上司に叱責されたこともありますが、その当たり前のことが私はできません。私は母音を発音することが苦手ですが、あいさつは「おはようございます」「ありがとう」「おつかれさまでした」と、ほとんどが母音です。

日本語の発明者を恨んだ回数は数えきれません。「お、お、お、おはようご、ご、ございます」とどもるのは日常茶飯事で、ひどいときは一言も発することができません。学生時代の日直当番では、「起立、礼、着席」のたった10文字を言うのに1分以上かかり、同級生から笑われたりすることが苦痛でした。

自己紹介、就職活動など

私は自己紹介や自己PRをしなくてはならない場面で、ほぼ100%どもります。高校入学のときは、1発目のあいさつで見事なまでにどもってしまい、冷ややかな目で見られたことを今でも忘れることができません。いじめられていると感じたことはなかったのですが、どもったことでクラスメイトから距離を置かれるようになりました。
高校2年の夏、「なぜ自分だけが本来苦労しなくてもいいことで他人から見下されなければならないのか」と深く悩んで学校に通うことができなくなり、ついには高校を中退してしまいました。

その後、高等学校卒業程度認定試験を経て大学生になった私の前に、今度は就職活動という壁が訪れます。公務員を目指していて筆記試験は一通りパスしたのですが、面接試験ですべて撃沈。面接対策を徹底的に行ったものの、本番で見事にどもりました。そして、就職先が決まらないまま大学卒業を迎えます。

吃音の原因を知り、正しく理解することが大切

どもってしまうのはなぜか?

吃音について、長い間多くの研究が行われてきましたが、なぜどもるのか、はっきりとした原因はわかっていません。その実態も謎に包まれています。「左利きを右利きへ矯正するとどもる」「家庭環境が悪く、子どもに対する愛情が少ないと吃音になる」といった説をいまだに信じている人がいますが、これらは多くの研究結果によって否定されています。

「どもり」は緊張して「噛む」ことではない

緊張しないで落ち着いて話せ――。これは、私がどもる際に言われて最も嫌な言葉です。私の場合、確かにプレゼンや面接など、多くの人の視線が集中して緊張が増幅するような場面になると吃音の症状が普段より悪化します。吃音は心理的要素によって変化するものである、と私は思っています。

しかし、吃音は「緊張するからどもる症状」ではありません。非吃音者が「緊張して言葉を噛んでしまう」こととは、性質が異なります。頭では言いたいことがスラスラ出てくるのに、いざ話そうとすると、喉が固まったかのように言葉が詰まって出てこないのです。実際、私は何十年と生活を共にした家族相手でも、ひどくどもります。

「目立たない」のは「隠す」から

私が吃音であることを伝えると、「どもり?あまり気にならないよ、気にしすぎだよ」という反応が返ってくることが多いです。これは、長年の経験で身につけた“吃音を隠すテクニック”を、無意識のうちに使っているからに他なりません。

私の場合、「ありがとう」の語頭の「あ」が言いづらいので、「どうもありがとう」と頭に自分の言いやすい語句を付け加えたり、「あした」の代わりに「げつよう」「じゅうごにち」など、意味が伝わる範囲で“言い換え”たりしています。

吃音を「治す」よりも「受け入れる」

by pixabay

何十年も吃音に悩んできた私がたどり着いた答えが、「吃音を受け入れること」でした。はっきりとした原因が解明されていない吃音の改善に心血を注ぐのではなく、誰にも負けない「自分の武器」を磨くことに時間を費やしたほうがよいのではないか、と思うのです。私はどもらないようにするために、たくさん考え、たくさん練習をしたりしましたが、吃音は治りませんでした。

また、たとえ吃音が治ってスムーズに話せるようになったとしても、それは世間一般では当たり前のこと。何のアドバンテージにもなりません。「どもること」は、生きていく上でデメリットだらけです。たまに「吃音のきみだからこそ、できることがあるのではないか」と非吃音者に言われることもありますが、正直、綺麗事だと思っています。悔しいですが、吃音であるがゆえにできないこと、向いていない職種は確かに存在します。

吃音と戦うのはやめよう

まずは、自分が吃音であると受け入れること。
そして、できるだけ吃音を隠さないこと。

これにより、自分にできることとできないことが次第に浮かび上がってきます。例えば、話すことが仕事のアナウンサーは厳しいですし、緊急時にスムーズなやりとりが必須の警察官や消防士なども難しいです。

そのような場合は「アナウンサーとして伝えることは難しいけど、文章でなら自分の想いを伝えられるから作家になろう」とか「IT技術者として、インターネット犯罪やハッカーから国民を守るのはどうか」とか、思い切って発想を変えてみるのはいかがでしょうか。

「吃音を受け入れることで閉ざされる道もあれば、開かれる道もある」と私は強く思います。吃音を受け入れることは、容易ではありません。しかし、吃音と向き合うことは、治すことや戦うことばかりではありません。

吃音を、受け入れてみませんか。

 

参照文献

吃音ポータルサイト

日本吃音臨床研究会

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