台湾のリノベーションスポットで知る、戦前・戦中期の産業

●台湾では今、日本植民地時代の工場跡などのリノベーションがブーム。
●それらの施設では、植民地時代の台湾の産業について知ることができる。
●台北の「華山1914文創園区」は樟脳工場跡で、樟脳は当時台湾からの輸出品であった。
●台北の「松山文創園区」は総督府専売の煙草工場跡で、台湾初の近代的な工場であった。
●台南のかつての「林百貨店」は、オシャレな台湾産品を買えるデパートとなっている。
●製糖業は日本植民地時代の主要な産業。現在では台湾各地の製糖工場跡がリノベーションされ、観光地となっている。
●台北でのグルメや九份だけでない、台湾の多様な魅力を知ってもらいたい。

台湾旅行というと、台北へのグルメ旅行か『千と千尋の神隠し』のモデルとなったといわれる台北から九份への日帰りツアーが定番だろう。しかし、筆者が2015年に半年間台湾に住んだ際に、台湾のあちこちを旅してみると、想像をはるかに超えた、日本人の心に響く多様な魅力にあふれていた。

例えば、台湾では今、古い建物や施設をアートスポットや観光施設にリノベーションするのがブームで、台湾の若い人を中心に「レトロでおしゃれ」と人気を集めている。そこは、日本ではすでに取り壊され、失われてしまった、戦前・戦中の風景の中に身を置くような懐かしい空気に満ちている。

このようなスポットには、1895年(日清戦争後)から1945年(敗戦)における日本の植民地時代の工場跡も多く、当時の台湾産業について学ぶことができる。“大人の社会科見学”として訪れるのもおすすめだ。

華山1914文創園区〜戦前の日本経済を支えた樟脳工場跡〜

戦前の台湾の主な産業は、米と砂糖。そして、台湾総督府の専売として財政を支えたのが、阿片、食塩、樟脳、煙草、酒である。このうち、台北にある「華山1914文創園区」は、日本芳醸(酒造工場)、日本樟脳(現・日本精化)の工場跡を活用したアート空間で、リノベーションブームのさきがけ的存在だ。

樟脳とは、クスノキの香りの成分が結晶となったもので、防虫剤やセルロイドの材料に使われている。セルロイドは当時の新素材で、プラスチックが登場するまでは食器やおもちゃ、医薬品などに広く利用された。

台湾はクスノキの産地であるため、樟脳が日本統治時代に盛んに生産され、内地だけでなく外国にも輸出された。20世紀初頭、日本は樟脳の世界最大の生産国だったのである。昭和初期までの日本随一の総合商社・鈴木商店が台湾の樟脳油の大半の販売権を獲得し、同店の躍進の契機となったことでも知られる。

【参考】華山1914文化創意產業園區

cp.華山1914文創園区(自身撮影)

松山文創園区〜当時の理想の職住環境を目指した煙草工場跡〜

台北にある「松山文創園区」は、台湾総督府専売局松山煙草工場跡で、現在は工場の建物をカフェや雑貨店、アート空間などに利用した人気のスポットとなっている。

工場は1937(昭和12)年に建築。戦後は台湾の煙草工場となり、1998年に閉鎖された。敷地内には工員宿舎、公共浴場、診療施設、託児所などが設置されるなど、福利厚生が充実した台湾初の現代的な工場だった。

【参考】松山文創園區

cp.台湾総督府専売局の工場(上)阿片工場内部、樟脳工場内部、煙草工場内部(下)
国立国会図書館デジタルコレクション収蔵データ『台湾写真帖』を加工して作成。

林百貨〜昭和初期のデパートが、おしゃれな台湾産品を買えるスポットに〜

「林百貨店」は、1932(昭和7)年、台南に建てられたデパートである。建物は戦後さまざまに利用されたが、2014年に、台湾のおしゃれな土産物を中心に販売するデパートとしてオープンした。

日本の植民地時代、台北には昭和7年開店の「菊元百貨店」、高雄には昭和13年開店の「吉井百貨店」があったが、建物が現存するのは林百貨店のみ。これらの百貨店では、奢侈品、和洋雑貨、呉服などが売られ、日本人や裕福な台湾人のニーズに応えた。また、館内にはレストランもあったという。

ちなみに、日本の百貨店の歴史は1904(明治37)年に三越呉服店が百貨店となったことにさかのぼるが、建物としては東京の日本橋三越本店が1914(大正3)年(昭和2年リニューアル、昭和10年増改築)、日本橋三越本店が1935(昭和10年)の建築である。

林百貨店は、これらの百貨店と同時期に建てられた昭和初期のモダンな建物で、市松模様の床、階段、エレベーターなど、どこを見ても洒落ている。また、屋上には太平洋戦争で台南に空襲があった際の砲弾跡が残されており、戦時が偲ばれる。

【参考】林百貨官方網站

cp.日本統治下の林百貨店(左)。右は勧業銀行台南支店(『開臺巡跡』<立虹出版社刊 1997年>より)

台湾糖業博物館・十鼓文化村・花蓮観光糖廠〜台湾製糖の工場跡地が続々とリノベーション

南国の台湾は昔からサトウキビの産地だったが、『武士道』の著者として知られ、農学者でもあった新渡戸稲造がサトウキビの新しい品種や製造法を導入して生産量を飛躍的に増大させ、台湾の製糖業に偉大な功績を残した。

当時台湾には、台湾製糖、塩水港製糖、大日本精糖、明治製糖の4つの製糖会社が作られ、終戦後4社は合併して「台湾糖業公司」となった。ちなみに、現在の台湾糖業公司は、製糖業、農業、畜産業、バイオ、観光などの事業を手がける台湾有数の大企業である。この台湾糖業公司の工場が近年続々と操業を停止し、それぞれ観光施設として生まれ変わっている。

【参考】台灣糖業股份有限公司高雄區處全球資訊網

cp.台湾糖業博物館(自身撮影)

台湾糖業博物館

高雄近郊にある台湾製糖橋頭製糖所跡は「台湾糖業博物館」となっており、操業停止前の工場内部や日本統治時代に建てられた附属施設を見学できる。また、敷地内には防空壕など戦中期の施設も残っている。

花蓮観光糖廠

「花蓮観光糖廠跡」は、現在、観光レジャー施設として利用されている。日本統治時代の一般工員の宿舎や診療所、招待所が修復されて宿泊施設となっているので、泊まってみるのも面白い。

【参考】花蓮觀光糖廠

十鼓文化村

台南市にある「十鼓文化村」は、仁徳製糖工場の施設をなるべくそのまま残し、テーマパークとして生まれ変わった。当時の工場を見学できたり「十鼓撃楽団」の太鼓のパフォーマンスを楽しめたりするほか、工場からのバンジージャンプ、サトウキビを運んだトロッコ電車に乗車できるなど、アクティビティが充実している。

【参考】十鼓文創 Ten-Drum

何度でも訪れたい、台湾の魅力

今回紹介しきれなかったリノベーションスポットもあり、中華風文化、先住民(現地の呼称は原住民)の文化、雄大な自然など、台湾は多くの魅力であふれている。ぜひ、台北や台北近郊以外にも足を伸ばし、さまざまな切り口で台湾観光を楽しんでもらいたい。もちろん、どこに行っても、美味しい台湾グルメを楽しむことができる。

この記事を書いた人

台湾のリノベーションスポットで知る、戦前・戦中期の産業

小久保 京子

ライター・編集者

ライター・編集者歴20年以上。現在は、高校・大学の教育改革、大学の研究内容の高校生や一般への紹介など、高等教育関係の記事を中心に執筆しています。これまで、料理レシピ本、私鉄沿線情報誌の、企画・編集込みの記事執筆も長く経験しました。大学で専攻していた歴史と、住んだことのあるイギリス、台湾に興味があります。

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